【両親介護15】…申請書類が続くの巻

両親とも入院した際、父は様々な申請と制度の都合で入院費用が実費分だけになったため、それほど高くなかった(部屋代と食事代とおむつ代なので戻りようがない)のですが、母の方は高額医療費を超えた月があったようで先日「返金」の申請書が来ました。

時期は違えど、父も母も、退院後に申請書類が届き「また…」という感じな私です。
※福祉は申請主義なので仕方ないです※

これは医療の方ですが、そもそも2人とも要介護なので、そちらに関する手続きも少なからずあり。

実家の住所が相模原市のため、どうしても、提出先が相模原市役所や相模原保健所。
しかも役所は平日のみ。
しかたないので、厄介なもの以外は電話確認した上で、郵送で済ませています。

両親とも昼間の連絡先の欄は、実家を書いても出るわけがなく、各自持っている携帯の番号を書いていますが、
そもそも代理申請なので
注)2人とも施設で、父は名前が書けるかどうか、母も書類1枚埋めるには職員に付きっ切りで対応していただく必要あり

申請書や添付書類の他、施設の連絡先や私の連絡先も書いて添付しています。

週末も1つ書きました。

全く急がないものの、本当はもう1つ(2人分)あるのをまだ申請していません。

これもいつまで続くのやら…いやいや親が施設にいる以上ずっと続くのだよ…と自分に言い聞かせ…

【両親介護13】…ALS進行と物忘れ

今回はALSの父の話。

父は、現在、サービス付き高齢者住宅(=サ高住)に居ます。
癌末期や難病の方が利用可能な施設です。

要介護認定更新が遅れており、まだ確定はしていませんが、おそらく要介護4です。
ただ、認定者の診断書や見解次第では要介護5でもありえるような、勝手ながら要介護4.5という感覚です。
(ネット上の書き込みを見る限り私では判断つかず…です。)

父の施設は面会24時間可能なものの、サクッと行ける距離ではないため、どうしても週1~隔週1回になってしまいます。

大学病院退院後そのまま今の施設に入所してちょうど2か月経ちました。

物忘れが進んだ感はありますが、それでもまだ認知症という域には入らず、頭は一見しっかりしています。
ただ、今月あたりから手の力が更に起きてきたようで、携帯電話を持つ・かける作業がしにくくなったと言っています。
年齢の割にはPCが使えるので、部屋にはPC持ち込んでいますが、こちらもどうにか人差し指1本で打っている感じです。
以前からそうでしたが、最近は震える右手を左手で抑えながら打っています。(4月に実際見ました。)

手や指の動き自体もですが、身体自体も倦怠感なのが疲れやすくなったのか?
食事時とその後暫くは車椅子に座って起きていますが、その車椅子に移動するのが「介護職員2人がかり」になっていまい、面会に行った際はそれでも起き上がっていたものの、先日の面会時は横になったままでした。

ただ寝返りも自分でうてないようで、今回初めて床ずれを発見。

前回の面会からちょうど2週間でしたが、決して体調が良いとは言えないなぁ…という感じでした。

食事はなんとか専用箸とスプーンで自分で食べているようですが、やはり日々食べにくくなっていると言っています。

父を介護していた母が先に倒れ、突然母が入院・父が短期入所になってからもうすぐ4か月経ちます。
当然ながら、その日から父と母は別々の病院や施設で過ごしているので、父と母も電話でしかやりとりができない状況です。
父の施設が面会OKという珍しい状況で、母の施設(老健)は面会も外出も禁止です。
前回記載した「母の通院」は、入院していた病院での経過観察のため、例外中の例外です。
※父も今の施設に入所する前までは、短期入所施設も大学病院も面会禁止でした。
 そのため父の面会はここ2か月の話です。

2年前のコロナ禍当初、高齢者施設で面会禁止になり、認知症の悪化等が言われていた記憶があります。
その頃は気にしていませんでしたが、この4か月、両親の様子を面会・電話・カンファレンス等で見聞きする限り、認知症といいますか「物忘れ」が進んでいるというのは常に感じます。

こちらとしては「書いて残す」ようにしているのですが、
父はそもそも字がほぼ書けないため、「こちらが面会時にメモを残す」「メールで知らせる」ようにしていますが、
母は面会できない分自分でメモをして欲しいものの、そもそも聞いたことをメモした時点で内容が異なっていることが多いとこがあります。
当然、メモが怪しい母とメモができない父では、話が食い違うことも多々出てきているようです。

父と母のや要介護や現在必要な介護・医療レベルが異なるため別施設にいるのですが、両親にとってどう進めることがBetterなのか、父の弱る姿を見る度に悩むところです。

実際には面会や電話後に一旦悩み、生活に追われて中断し、また面会や電話時に悩み…の繰り返しです。

障害者情報に、介護情報まで…頭がパンクです。

注)今回からタイトル「両親介護の始まりその〇」から「両親介護〇」に変えました。

【両親介護の始まりその12】…母の通院

母は老健に入所しているため、内科含め基本的なケアは訪問医にお願いできます。
しかし、今回は実家に居た際からの3か月に1度の通院のため、相模原市内の中核病院まで行くことにしました。
本当は転院しても良いのですが、老健の入所期限が最大半年と決まっているところに、その後の居場所も未定なため、転院せず連れて行くことにしました。

母は移動こそ車椅子ですが、車椅子←→車の座席の移動さえできれば、普通の車に座っていることはできるため、退院時と同様、私の車で移動。

現在コロナ禍で、母の施設は面会も外出もできないので、まさに特例です。

車の移動は問題なく、診察時の対応は看護師さんが丁寧に行ってくださり、大きな問題もなく終わったのですが…

一番のネックは車の乗り降りとトイレ!

〇車の乗り降り
腰のみならず身体全体の筋肉が「退院後1か月半で」変わっていない事を証明するかの如く力が入らない。
どこを掴んでも、身体が重すぎて上がらない。(実際体重も増えている。)
当然抱えて乗せて…なんて論外。
スタッフのフォローでどうにか乗り降りした感じであり私1人では絶対に無理。

〇トイレ
当然身障者用トイレを使うものの車同様移動が不安定。
車と違ってトイレの手すりは車椅子の高さに合っているので日頃施設内でやっていることと同じはずなのだが…???
以前のカンファレンスで「手順をしっかり覚えればできそうなのだが…」とスタッフから聞いた話を思い出す。
まあトイレ自体が広いので、私のフォローでもどうにか対応できましたが…。。。

私、一応「サービス介助士」の資格は持っているので車椅子の扱い方も最低限の知識は持っているのですが、久々の実践+母の記憶力低下で神経減りました。次の通院は4か月後なので、その時までには母の身体がもう少し動くようになっているといいな…というより、なっていないと困るのですが…。

【両親介護の始まりその11】…娘でも進まぬ手続き

父の福祉手続きのため、入所中(現在両親とも車椅子)の両親に代わり、私が実家のある相模原市役所と相模原保健所に行ってきました。

そもそも、相模原の市役所自体、結婚直前に住民票等とるために行ったっきり25年ぶり?

しかも当時は政令指定都市になる前の相模原市。
政令指定都市になり、相模原市役所兼中央区役所となっていることにはじまり、市役所周辺も建て替え含め、様々な機能が分散し、建物が分かれ、正直「迷子」状態。

市役所、保健所とも、案内所で色々聞いて回る事態に。

それだけでも一仕事だったのですが…。

それよりも今回大変だったことが、家族、娘であっても「同居家族でない」ことで何も進まないこと!

特に私の場合、結婚して同居以前に住所も市外で苗字も違う…ので、両親との繫がりを証明するために戸籍抄本が必要。
両親の住民票含め書類を取るために本人たちが作成した「委任状」が必要なこと。

委任状もフォーマットはあるので、両親に書いて貰えば良いのですが、父はそもそもペンが持てぬ状況、母も誰かが付き添って1つ1つ説明しなければ埋められぬ状況。それも含めて事前に市役所に電話で確認して書類を用意して提出したところ、電話と窓口の話が違う!!!!!

課ごとに対応が異なるのは構わないのですが、事前確認と実際窓口で言われることが違うってどういうこと?????

私、市役所内で爆弾3つは落としてきました。
お願いだから、電話と窓口の説明は同じにしてください!!!!!相模原市役所!!!!!
(2つの課で起きたので、次同じことが起きたら、絶対苦情出します!!!!!)

まあ、住民票等が簡単にとれても困るという逆の考えもあるのですが、字が書けない、字を書くのが危うい人でも委任状が必要というところをどうにかしていただきたい…というところでしょうか?

最終手段として委任者本人の名前だけ直筆なら良い(+捺印)ということがわかったので、次回からは母に名前記入だけお願いすることになりそうです。

それ以前に市役所や保健所に行く必要がなくなれば良いのですが、要介護者であり、介護サービスを受けている以上、今後もゼロということはないでしょう。多分。

市役所においては、家族であって家族でないような、複雑な気持ちになりました。。。

【両親介護の始まりその10】…母のカンファレンス

母の入所した老健は、入所1か月したら「全体カンファレンス」が行われます。

所長はじめ、看護師・介護士・理学療法士・生活支援員(ケアマネ的存在)と家族です。

我家の都合で、1か月のところが1か月半後になってしまいました。

具体的なことは書けませんが、紙面含めて内容が分かりやすく書いてあり、スタッフで共有してケアしている様子がよくわかりました。

ただ、元々積極的に歩く人ではなかったのもあり、体幹や股関節周りが弱すぎるようで、自力で歩くにはまだまだ時間がかかりそうです。
面会できないからか、リハビリの様子を動画で見せてもらいましたが、素人の私が見ても、歩くのは程遠い…。

また、母の話は鵜呑みにできないこともよくわかりました。
確かにシルバーカーで歩いているのですが、あくまで1回あたり3~5mかつ直接のみ。
本人が50m歩いた…ってどういう意味でしょう?
距離感覚が壊れているのか、休み休みのトータルが50mなのか?

老健は、入所3か月はリハビリ週6ですが、その後は週3になります。

残り1か月半で、どこまで回復するのか?

老健の入所期間が最大で半年である以上、色々念頭において検討を始める時期なのかもしれません。

【両親介護の始まりその9】…父の退院&入所

3/9(水)に怪獣3号の卒業式が終わって早々、3/11(金)に父の退院&入所日が正式に決定。

父の施設は洋服等一通り用意しなければならないため、週末に姉妹で父の荷物の準備をし、
3/15(火)に退院および入所。

母の時と同様、退院後に入所のため、病院からの依頼書類も多く、退院荷物もあり、更に実家経由の私の車には入所用の荷物がどっさり。

そんな状態で、退院手続きを済ませ、父と妹は介護タクシー、私は自分の車で施設移動。

車で行くのは初めてなので、近くで迷子になりつつ、どうにか到着。

同じ相模原市内なのに、実家→3km→病院→6km→施設。
行くだけで大騒ぎ。

その日は全体カンファレンスの後、契約手続きの嵐。

父の場合は、部屋賃貸契約に始まり、訪問看護・訪問介護・訪問医・薬局それぞれと契約。

利用者本人の父が字が書けないので、利用者→父、家族代表(保証人)→私で、ひたすら住所と名前書いて、捺印して…。

父の荷物を車から移動させたときには、施設に着いてから3時間を超え、結局施設に5時間近く居たような気がします。

個室で部屋は8畳ぐらいあるのですが、介護用ベッドですし、本人も車椅子。
部屋の端にはロッカータイプと引き出しタイプのタンスがそれぞれあり、トイレも広く、いざモノを持ち込むとあまり広く感じないというかちょうど良いというか…。

この日は移動と契約と荷物運び入れただけで終わってしまった…というのが現実なので、全てはこれからかと。

しかし、姉妹としては両親が退院・施設入所となったことで、ちょっと落ち着いたかな、という感じです。

※実際には父が難病のため、入院に関して手続きが多々あり、病院での会計は先になります。
 とはいえ、同居してない、苗字も違う私が手続きを進めるとなると厄介なことが多く、ちょっと時間がかかりそうです。

何はともあれ、どうなることやら…。

【両親介護の始まりその8】…父との面談

コロナ禍で入院中の面会ができない中、特例で許可を取り、ケアマネさんと妹と私で父と面会しました。
母は施設入所中なので当然ながら参加できず。

当然ながら、父の入院後初めてです。

今回の内容は、父の「退院後の行先(施設)」について。

元々ALSで医療依存度が高いのですが、今回の緊急入院で何故か血糖値が爆上がりしてしまい、インスリン注射まで必要になってしまいました。

母も施設にいる以上、自宅に戻ることはできず、かつ、医療体制のしっかりした施設に行くしかありません。
(今回の件で入院前にいた施設に戻ることは実質無理になりました。看護師さんが1日中居る施設であることが条件だからです。)
いわゆる「難病・末期癌に対応している施設」というところです。
そもそも、そのような施設自体少なければ、空きも少ないのが現実です。

先日見学に行って仮申し込みしたのもそのためです。
要は他に選択肢がないのです。

正直選択肢がないので、父には納得してもらうしかないのですが、まあ、救急搬送されて、入院して、退院後はまた別の施設…

まあ急に納得して!という方が無茶なのは当然なのですが、四者会談(+記録の看護師さん)で父もNO!とは言わなかったので、それで進めることになりました。

とはいえ、大学病院なので、早急に手続きして最短で退院。猶予は1週間~10日ぐらい。
こちらも準備含めて大変なことになりそうです。

父も母も存命なのに、父の施設も、母の施設も、最終的に姉妹だけで判断しなければならない現実が重いです。

【両親介護の始まりその7】…母の退院&入所

怪獣3号の合格余震に浸る間もなく、母の退院&入所日を迎えました。

幸い、母の入所施設は、タオルだけでなく洋服やパジャマまでレンタル可能、おむつの用意は不要…という状態。

※洋服とパジャマについて※
当然料金は発生しますが、退院後にそのまま入所する母の洋服やパジャマを用意するにも(私が同居していないので)そもそもどこに何があるかわかりませんし、都度洗濯を取りに行って届けて…それなりな枚数を購入して…入所3か月~半年予定なので季節も変わるし…本人が着たい洋服を選べる楽しみもある…となると、レンタル費用と天秤にかけた際、結果としてレンタルの方が良い!と判断しました。

事前に母の持ち込みたい物は聞いて実家へ取りに行き、荷物も入院時からそのまま使うものを移してもボストンバッグ1つ分程度。

母は車椅子生活で自分の乗り移りができないのですが、普通の車に1時間半乗るのは大丈夫ということで、私の車で移動。
病院で車椅子→車の座席、施設で車の座席→車いすは、それぞれのスタッフに手伝っていただき。

退院時の様子は、車椅子という状況以外は、意外と元気で、頭のクリアになってきた模様。

施設についたらちょっと緊張しているかな?という感じで血圧が高めでした。

コロナ禍で面会はできませんが、近いので荷物はすぐ届けられるのは幸いかと。

毎日のリハビリで少しでも身体機能が回復し、周囲の方々と過ごすことで心も回復してくれたらなぁ…と願っています。

【両親介護の始まりその6】…施設訪問

両親の入院中とはいえ、動かなければならないのが「その後の生活場所」探し。

(父が緊急搬送される直前に)母の病院ソーシャルワーカーから老健を複数紹介いただき、
父は大学病院に搬送なので急性期が過ぎたら早急に退院しなければならないため施設候補をケアマネさんに紹介していただき、
結果として2日連続の施設訪問となりました。

まずは両親それぞれの第一希望施設へ。

母の施設は、病院カンファレンスの全員一致で(実家ではなく)私の自宅の近くになったので、幸い車で15分。
かつ場所も偶然ながら知っているところで。(リハビリ等の送迎車が我家の近所にも通っていて常に見かけていた。)
大変恵まれたことに、施設側と病院側の配慮で、こちらが入所希望出す前に既に入所審査が終わっており、私が正式申込すれば入所できる状態に!
事前にHP等は伝えていた妹と相談し、その日のうちに確定し、翌日には正式申込をしました。

翌日、父の施設へ。こちらはケアマネさんが変わらないことはじめ、諸々の環境を大きく変えることは拒否するであろう父の性格も鑑みて地元で。初回なので電車で行きましたが、実家の市内なのに、その駅、初めて降りました。環境・対応・料金その他特にマイナスになることもなかったことから、これも妹と相談して即確定し、正式申込をしました。

これで両親それぞれ退院後の居場所をなんとか確保できましたが、病院への荷物、退院後の準備、そもそも怪獣3号の高校が決まらない中、私の頭は優先順位がつかない大混乱ならぬ大渋滞です。

【両親介護の始まりその5】…父の緊急搬送

怪獣3号の公立入試が2/18(水)に終わったと思ったら…ひと休憩する間もなく2/19(木)夕方になり短期入所施設にいる父が発熱したと連絡がきました。夕方だったので、その日一晩は施設で様子を診ていただけることになりましたが…

翌日になっても熱が下がらない
父は車椅子なので介護タクシー移動必須だが熱があるのにタクシー利用できない
ALSなので普通の病院で診てもらえるの

などなどなどなど…

どうしたものか散々悩んだ挙句、最終的に、ALSを診てもらっている(かかりつけ医である)北里大学病院で受け入れ許可がおり、入所先から1人救急車で北里大学病院に搬送されました。それを受け、私と妹も、急遽、北里大学病院へ向かいました。

日頃お世話になっている脳神経内科のスタッフ陣が対応するということで、内科の処置室で待ち、最低限の検査結果が出るまで到着後から1時間、救急車到着からは2時間近くかかりました。

結果は私1人で聞きましたが、検査結果から複数の病名が付く事態に。
正直、3週間施設生活でしたので、何故、体調が急に悪化したのか、検査結果が(以前の通院時に比べ)一気に悪くなったのか不明。

とはいえ、とにかく複数の原因を治すべく、2~3週間の入院が確定。
基本的には意識もあり、話もでき、一見元気そうなのですけどねぇ…

父の病棟で、入院手続き書類をたくさん書くことになったのですが…(母の時より多いような?)
既に入院受付終了が迫っていたので、まずは最低限の書類を書いて、入院手続き。
それから病棟に戻って続きの書類の山を書き始め。
その間に担当となる脳神経内科の先生がいらしてくださり、その頃には妹も到着したので、外来で聞いた話をもう一度妹に向けてもお願いしたり、書類を分担して書き、父のものは全てレンタルで対応することにしました。
(1週間に何度も行けないので、母も衣類等はレンタルにしましたが、別々の病院に紙おむつ等をそれぞれ1週間分届けるとなると相当の量になるため、父の消耗品は全て実費でお願いすることに。)

両親の入院した病院自体は、それぞれ実家から3kmぐらいなのですが、方向が逆…
実家・病院・病院を回るとなると、車でないと不便な位置関係。

どちらもコロナ禍で面会はできないのですが、病棟やSWから連絡は来ますし、特に父の方はまだ急性期なので「24時間電話が鳴るように!」と言われています。

幸か不幸か、怪獣3号の入試が終わるのを待っていたかの如く急変した父。

それぞれが入院…両方の窓口が私…我家の状態が落ち着いていてもキャパオーバーなところに、年度末による怪獣1号2号の福祉系の更新、卒業入学と入学準備の怪獣3号…もう何をどう回せばよいのか、私の頭が整理できません。もう目の前の事から1つずつ進めて行こうと思います。

しかし、父の容態を母に伝えるにも、直接話せず、電話になってしまう現実。
こういう時の面会禁止は、なかなか難しいです。

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