1年前の記録を振り返って…亡弟とのやりとり

弟が急逝してからあと3週間で1年になります。

1年前の昨日7/2は(舌癌の管轄である)耳鼻咽喉科・頭頸部外科の最終診察日(※)、明日7/4は(癌で崩れた背骨フォローの)整形外科の最終診察日でした。主治医は前者なので、私は7/2の通院に付き添い。弟と母を連れて大学病院へ行き、主治医とソーシャルワーカーさんと話をしました。
※以降緩和ケアとしての訪問診療に切り替えたため。当時の話はココに。

結果的に、弟の顔を直接見て話をしたのはこの日が最期となりました。

この頃は、通院の日は疲れてしまって、部屋に上がったら降りてこない…弟でしたが、この日は珍しく降りてきて、夕飯の後、暫く2人きりで話をしました。ちょうど我家の怪獣3号が中学生になり学校生活に慣れたり、ピアノ(ヤマハ)の生活も弟を抜いたところでしたので(弟も小学校卒業までピアノ続けていました)、怪獣3号の話から、自分達が怪獣3号の頃、一緒にヤマハに通っていた頃の話、中学校の部活や先生の話など、共通する懐かしい話をしました。

この日の私の帰宅後と翌7/3のLINEは、真面目な内容で、長い文章になりました。

その後もLINEは亡くなる前日まで数日に1度、落ち着いている日は連日やりとりしていました。
亡くなる前日のやりとりでは、次に実家に行く日は8/1と決めていましたし…。

結果的に、文章は亡くなる前日のLINEやりとり、話をしたのはその最期のLINEから暫くたって突然かかってきた電話が最期となりました。

昨日は仕事もあり、この気持ちをどうにか封印していましたが、今日は…その1年前の通院のこと、主治医やソーシャルワーカーと話したこと、弟と直接話したこと、真面目な内容のLINEなどなど振り返っていました。

結果的に、LINEでも電話でも、
「あとは姉ちゃんがどうにかするから自分のことを考えて!」
ばかり言ったり書いたりしていたなぁ…と。

1年前の今頃の体調が落ち着いている時だったかな、「姉ちゃんには感謝してもしきれないほど感謝している」といった内容を丁寧に書いてきたこともありました。

今日は1年前のそんなあれやらこれやらを振り返りながら、弟とヤマハに一緒に通っていた頃に弾いた懐かしい曲を、弾いたり聴いたりしていました♪。

1周忌を過ぎたら、モヤモヤから少しは解放されるかな?少しはスッキリするかな?

お彼岸…弟の墓参りへ

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亡き弟(と祖父と祖母)の墓参りに行ってきました。
納骨式以来、半年ぶりです。

今回は夫と怪獣3号と行きました。
怪獣くんはこの霊園に来ること自体初めてです。

半年前も9月なのに30度越えの暑さでしたが、今日も20度越えの暑さ。弟が晴男だった記憶はないのですが!?
自粛ムードかと思いきや、それなりに人は多かったです。

怪獣1号2号妊娠時の母体緊急搬送時は仕事後に、翌日は仕事休んで、近くはない大学病院まで車で往復してくれた弟。
あれから20年経ったんだよ!彼らなりに1歩1歩頑張っているよ、の報告。
そして、ピアノの試験レベルも演奏レベルも弟を越え、弟も亡くなる直前まで期待していた怪獣3号を連れてこれたことにホッとしています。

霊園は桜並木になっています。
桜も陽当たりの良いところは既に7分咲き。今年は早いですね。

弟の死から半年経ってもふと思う事

弟が亡くなって半年が過ぎましたが、突然ふと考える事があります。

弟が急変したとき何故救急車を呼ばなかったのか?…ということ。
ちなみにこれは単なる疑問であって、賛成反対等の話ではありません。
経過を把握していた私としては、呼ぶことのメリットデメリットは承知しているからです。

私がわかっていることは
・亡くなる前夜20時頃LINEでやりとりしたこと・電話で直接話したこと
・夜中に激痛に襲われ動けなくなったこと
・翌朝4時に母が弟の様子を見に行ったら既に息を引き取っていたこと

結論として、夜中に激痛が走った時、両親も本人も救急車を呼んでいません。
既に大学病院を卒業し自宅での緩和ケア(訪問診療)にしていたからなのか?
大学病院に戻されるのが嫌だったのか?
そこまでの緊急性を感じなかったのか?

私がその場にいたとしても、どうしていたかは正直わかりません。

ただ私が想う事として
・もし救急車で大学病院に搬送したとしても、その後回復が見込める状況であったか?
・翌朝に亡くなることは避けられても、残りの人生=入院生活になったのではないか?
・自宅の自分のベッドで亡くなったことは、実は幸せなことだったのではないか?

2018年5月に再発してからは、家族参加が必要な説明や診察時は私が全て同席しましたが、その中で主治医が「生きる時間を長くすることができても、それが治療で苦しむ時間で延ばすならばQOLの観点からは望ましくなく、QOLを保てる状態で長くしたい。」なる主旨の事を言っていました。

確かに、重篤な状況で半年や1年長く生きたとして、その期間がベッドから全く動けないなり本人にとって苦しいだけの時間ならば「本人にとって」どうなのだろうか?そして家族にとっては「どんな形であれ生きていて欲しい」と思う方が全てなのだろうか?
(突き詰めれば「延命治療をどうするか?」等に繋がるので今回はそこまで掘り下げません。)

良い悪いもなければ、正解も不正解もないことだと思っています。

半年以上経っても、ふとした時に、この「一生答えの出ないことを考える」私がいます。
そして、これからも「答えが出ないことを承知で」ふと考えるのだろうな、と思っています。

…という現実を備忘録として書き残しておきたいと…

弟の逝去から半年…

今日1月25日は、弟の6回目の月命日。
亡くなって半年が経ちました。


まだ、なのか、もう、なのか。
ひと月前も書きましたが、今になって心がモヤっとすること、心が不安定になることが増えています。


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先日、我家の怪獣3号、道徳で「いのち」をテーマにした授業があったそうです。
その日、彼なりに思う事があったのか、帰って来てすぐその話をしてくれました。
そして、「〇〇くん(私の弟の名前)のこと思ったんだよね…」と。


この授業の最初に「いのちとは」と問いがあり、その時、日頃あまり発言をしない怪獣3号が「最も大切なもの」と答えたそうです。


怪獣3号が弟に最期に会ったのは亡くなる9か月前ぐらい。
怪獣3号が一番多忙な時に急変したから仕方ない。


でも、怪獣3号にとっては初めて出た葬儀だったし、それまで私が実家や大学病院を行き来していたし、(急に大学病院へ行くことも出てきたので)状況は適宜伝えていたからか、怪獣3号なりに状況を把握して理解していたのかと思います。


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弟が先に、という現実を消化するには私自身まだまだ時間がかかりそうですが、こればかりは一歩一歩ですね。
弟は今頃向こうの世界で何をしていることやら…。やはり新車でドライブかな?

5度目の月命日

今日は12月25日。
亡き弟の5回目の月命日を迎えました。
7月は暑さ前倒しの如く暑かったのに、気づいたら秋も過ぎて、冬になってしまいました。
そう考えると早く感じます。


手続きその他追われていたものがひと段落し、今更ながら感じることが多くなってきました。


何が…とはっきり書ける状態ではないのですが、心の中がモヤっとすることが増えています。


今頃?今更?何なのでしょうね。自分でもよくわかりません。


しかし、あの「要塞」と化した弟の部屋。いったいあとどれだけの時間をかけたら片付くのだろう?
先日、妹夫婦と、私の夫婦の大人4人(姪っ子世話があるのでその中の実質3人)で、弟の部屋の片づけをしましたが、部屋の中の「けものみち」が「普通の道」になったレベルです。弟がずっと実家住まいだったからなのか?単なる収集癖なのか?もう意味不明なものばかり出てきます。あまりに色々なものがありすぎて、「私は今から終活を始めるべきか?」と思ったほどです。(といっても私はこまめに断捨離しているので余計なものは早々ない…と本人は思っています。想っているだけ「かも」しれませんけどね。)


まあ、こうやって色々悩み、ふと考えているうちに、また次の月命日がやってくるのかな?と思っています。


まあ今の季節柄思うのは、昨年の年末年始が緊急入院で病院で年越しをしたので、今年は自宅で年越しをさせてあげたかったな、という感じでしょうか。。。

4度めの月命日

弟が亡くなって4度めの月命日を迎えました。


ちょうど1年前の今日、エレクトーンのコンサートでした。
家族が1日でも長く一緒に過ごせることを願って選んだ「未来予想図Ⅱ」。
結局、これを弾いからちょうど8か月後に亡くなったのか、と今日は感傷に浸っています。


http://manbowakemasa.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/2018el-c912.html

3回目の月命日

本日、弟が逝去して3回目の月命日を迎えた。
事務手続きは時間の問題となったが、部屋の片づけは全くできていない。


嬉しい事も、忙しいことも、悩めることも、喜怒哀楽があることも、生きているからこそ…
と思い、進んで行くだけ。

Facebookの追悼アカウントに思う

Facebookの設定機能の中に「追悼アカウントの設定」というものがある。

実は弟が亡くなった後に偶然知った。

要は、亡くなった後のこのアカウントの管理人となり、管理するも削除するもその方に任せるというものである。
この管理人に指定された方が、「本人が亡くなった証明」を送ることで、本人のアカウントは「追悼アカウント」という扱いになる。そしてその管理者が指定された方に移行する。
当然そう簡単に申請できるわけはなく、亡くなったことを証明する画像を送信し、それから半日ぐらいして承認された。
(本来何で証明するのが妥当かわからなかったので、私は「弟の戸籍謄本」の本人部分だけを写メして送った。死亡日時が書かれているから。)

この手続きが終わった今、亡き弟のアカウントは「○○さんを追悼」と書かれている。

ちなみに最初から「亡くなったらアカウントを削除する」という設定もできる。これは誰かが亡くなったことを知らせた時点で、ということらしい。(これも誰かが「本人が亡くなった証明」を送付して認められる。)

このシステムがいつから存在したのかはわからない。
ただ、老若男女問わずSNSを使う時代、こういう仕組みも必要なのかもしれない。
実際、亡くなった方のサイトがそのままずっと放置されているのはどうなのだろう?と思う時もある。

私の周辺でこのシステムを知っている方がいなかったので、実際どの程度の方がご存知なのか全くわからない。
ただ、この設定は「本人が」ログインした状態でできること。
第三者が削除等できたら「乗っ取り」なので、本人が管理者を指定すること自体は良いのだが、今回のように当初設定をせず突然亡くなった場合、他の手段があるのだろうか?

ネット社会な現在、友人関係は住所より電話、電話よりSNS。
実際亡くなって2か月経った最近になり、弟の学生時代の友達から連絡があり、対応をしている。
本人のSNSアカウントに対して「遺産」という表現は正しくないのかもしれないが、情報という産物に対して付けるなら、これも一種の「遺産」なのかもしれない、と思うこの頃である。

四十九日法要と納骨式

昨日、亡き弟の納骨式と四十九日法要が無事終わりました。


東京は久々の30度越えでしたが、途中曇が出たり晴れたり風があったりと、どうにか凌げました。


私は結婚直前に(祖父母への報告で)来て以来でしたが、意外と道や風景は覚えていて、サクッと辿り着きました。以前より道や緑が整備されているのか、綺麗な感じすらしました。


やはり自分より1つ下の弟が先に亡くなり、お墓に入るという現実は、言葉に表すことのできないものがあります。その反面、病気と闘う姿・苦しむ姿を見てきた身としては(最期は急変だったとは言え)痛みから解放されて良かったのかな、と思うことにしています。


終了後、久々に妹とゆっくり話しましたが、弟は私の前では最期まで「姉ちゃん!」と頼っていたけれど、妹の前では逆に「兄ちゃん」で居たかったのか?と感じました。それが弟らしいね、と。。。


昨晩、私がお世話になっている福祉・心理の関係者から、
「きょうだいは去る時に『自分』を見つめ直すキッカケを置いていってくれるのではないか。」
「墓石の前に立った時、悲しみと一緒に、何か未来へのキーを託されるかもしれない。」
と言われました。今はまだモヤっとしていますが、弟の死が何を伝えたかったのか、これから数ヶ月、1年、数年…どのぐらいかかるかわかりませんが、考えて向き合っていきたいと思っています。


両親の都合でまだ手続きの終わっていない現実と、私の性格で「グリーフ」ができていません。今までの諸々の事情から、自分で泣くことをギリギリまで我慢して、泣くことに蓋をしてしまっているようです。その「泣かない状況」を、夫の入院先や自分が入院した際に、医療チーム看護チームスタッフから心配され続けてきました。今回「泣くことの必要性」を感じながら最近やっと少しずつ泣くことが出てきました。ゆっくり時間をかけて向き合っていきたいと思います。


長くなりましたが、今の気持ちを備忘録的に書かせていただきました。


画像は霊園最寄の日暮里駅(東京都台東区)からのスカイツリーです。


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友人から届いたお線香

弟が亡くなって3週間経った今日、古くからの友人から荷物が届いた。

開けたら「お線香」が入っていた。

やりとりは頻繁ではないものの、SNSや年賀状で近況は知っている、唯一今でも連絡を取っている「地元」の友人。
幼稚園・中学校・高校と一緒で、大学も就職後も友達の友達繋がり…等で縁のあった、ある意味貴重な友人。
(実家同士徒歩圏なのだが小学校だけはギリギリ学区が分かれてしまった…。)

私の弟妹の事も勿論知っているので、早期に連絡するメンバーとして書き出していたのに、私が連絡し損ねていた。。。

そしたら、「ブログを読んで知ったから!」と、お線香を送ってくれたのだ。

彼女もSNSを使っているとはいえ、積極的に使っている感じではなかったので、私がブログをやっていることは知っていると思っていたが、読んでいるのは知らなかったのだ。

でも、いざ荷物が届いて、幼少期から私や弟妹を知る友人に、当時のように私だけでなく弟妹のことも「当時の呼び名」で言って(書いて)くれる友人に、上手く書けないが「安堵感」「安心感」のようなものを感じた。なんだろう?既にオープンにしている事ではあるが、やはり、「弟のことも幼少期から知っている友達」なのが大きいのかもしれない。

彼女も結婚しており、普段会う事は全くないのだが、それでも直接渡されたかの如く嬉しかった。

きっとこれも読んでいると思って。「本当にありがとう!!!」

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