亡弟の初盆

今年は亡弟の初盆です。
(1周忌過ぎましたが、7月末に亡くなったため今夏が初盆になります。)

1年ぶりのこちらの世界はどう見えているかな?
オリンピック見る予定で来たらやっていないぞ…かな?
みんなが夏でもマスクしているぞ…かな?
どちらも昨年の今頃には想像つかなかったことですね。

コロナ禍のため、一周忌に続き初盆も法要や集まりは止めました。親と姉妹が東京神奈川では難しいと判断し…。
コロナがもう少し落ち着いて「秋分の日」にお墓参りができたら…と願っています。

弟の逝去から1年+3日

備忘録と心の整理のために書いているこのシリーズも今日で終わる予定。

2019年7月28日。弟の急逝から1年と3日。告別式。
この日も両親の代わりに何かと多忙だった。。。
やはりこれ以上は書けないですね。まだ。

弟は中1の4月までピアノ習っていたのだが、最後の発表会に弾いた「ベニスのゴンドラの歌」、会場スタッフが何度も弾いてくれたよ。
この曲、参列できなかった怪獣3号も大好きだったんだよね、と思い出しながら聴いていた。

1つ良いことがあった。告別式は、怪獣2号も最初から最後まで、斎場まで無事参列できた。
2日めというのもあり、彼なりに雰囲気を察し、座っている時は動くどころか一言も発しなかった。
焼香等で立ち上がると「〇〇行く~」など言っていたけれど、彼を知る方々からすればその程度で済めばご愛敬レベル。
こういう時はやはり第七感が働くのだろうか?と思った程。

あとはやはり両親が更に老けて見えたこと。
両親の状況からして覚悟していたが、遺影を持って霊柩車に乗った。
ただ、そのおかげで、弟とは最期の最期まで話ができたよ。

ちょうど霊柩車で移動しているころ、怪獣3号はピアノの発表会で、本当に最期の最期、斎場に到着する直前ぐらいの時間が演奏時間だった。
怪獣3号が演奏した曲は、ダカンの「かっこう」だった。
弟を送り出すのに、ちょうどいい曲だったな。偶然だけど。

この日の朝、1人で自分のステージを全うする怪獣3号に連絡をした。
「相模原に届くように弾くから」
と返事をくれた。頼もしいと思った。これで発表会は1人でも大丈夫と確信した。私は私のステージで喪主代理を最期までしっかり努めようと思った。

今日もこれから弾いて追悼しようっと。

最後に。。。
両親の代わりに姉の私にあれもこれもそれも仕事が降って湧きまくったのは全て「弟が独身だからだ!!!」と勝手に恨んでおくか。。。

弟の逝去から1年+2日

備忘録と気持ちの整理兼ねて連日書いています。

今日は2020年7月27日。弟の急逝から1年と2日。

1年前、2019年7月27日は土曜日。通夜日。

朝から実家(相模原)へ行き、最初のイベントは、棺に入った弟を自宅から葬儀場へ送り出すことだった。
近所の方が見送りに来てくださった。
私が生まれたころに開発された住宅街なので、かなり入れ替わったといえども、ご近所にはまだまだ古くからのお知り合いも住んでいる地域。実家に行っても通常は偶然でもない限り会わない近所の方々にお会いした。20年ぶりぐらいだった方もいたと思われる。

そこから先は正直よく覚えていない。

何かドタバタしているうちに時間になり、(父が車椅子なので)介護タクシーで両親と3人で斎場へ向かった。

実家から葬儀場(JR相模原駅近く)方面へ行くのは20年以上ぶり。景色を見ていてもマンションや住宅地ばかりで、以前何があったのか思い出せないほどだった。

現地についてからは、車椅子で移動制限のかかる父に代わって、あれこれ動いていたことしか覚えていない。
葬儀場スタッフとの打ち合わせ、お坊さんへの挨拶、参列の方々への挨拶、その他確認事項諸々…。
早く行ったから、ここでも弟の顔はしっかり見ることができた

(重度知的障害+重度自閉症で状況が把握しきれず声を出してしまう)怪獣2号は途中退席したが、怪獣1号と3号は無事参列できた。
ただ両親の次に私が妹と先に焼香してしまい、怪獣1号と3号の焼香の時に2人がどうやるか悩んでいるのを見て「そうだ初めてだった!」と慌てて横に行き教えたのであった。確かに、通夜は夫+怪獣どもとは現地集合だったし、全体の流れ含め教えている時間も余裕もなかったな。
まあ最後には夫と怪獣2号も焼香できたし、怪獣2号も空気は察したようなので良かったとしましょう。

その後は、関係者集まり食事だったが、自分の子供達とはちょっとしか話せなかったな。
親戚と話ている方が長かったかな。そもそも父の病状も弟の事もほとんど知らせていなかったようだから。

親戚はもとより、会社関係者の参列数が想定外に多かった。
現役社員であり、定期的に異動があったから、顔が広いのは当然だったのかもしれない。
連絡のついた高校のお友達の方々も参列してくださった。急な事にかなり驚いたであろう。

夫と怪獣どもは自宅へ帰ったが、私はそのまま実家泊り。
同じく父の介護タクシーで両親と一緒に戻ったが、夜に日記や報告(含むネット)等書いたことは覚えているが、後は何をしていたのか記憶が確かでない。でもあまり寝た記憶もない。何かぼんやり考えていたのだろうか?

翌日が怪獣3号1人で留守番かつ発表会参加としたため、それが心配でならなかった。

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そして1年経った今日2020年7月27日は月曜日。
いつも通り、夫と怪獣1号と怪獣3号を送り出し、怪獣2号の通所で運転。
幸いなことに、仕事は休みでエレクトーンのレッスン日だった。
何も無くても仕事を休み申請したかもしれない。(仕事は夕方から夜だから。)

家事以外、ピアノとエレクトーンをひたすら弾いていた。

夜はエレクトーンのレッスンだった。
今日は弾けないだろうと思ったが、いざ行ったら、いつも以上に弾いていた。
ヤマハは弟と6年も一緒に通っていたから、いざレッスンに行くと、まあ、色々想う事は多かったなぁ。
今日も一緒に通った「ジュニア科専門コース」の頃のことばかり思い出していたっけ。

弟の逝去から1年+1日

2020年7月26日。弟の急逝から1年と1日。

自分のベッドで眠るように亡くなった弟。25日はそのままそこで1日過ごし、1年前の今日26日午前に、化粧をして、棺に入った。
妹が夜に実家に駆け付けた。

私はこの日だけ自宅に戻らせてもらった。
25日は朝から実家へ行き、27日28日と葬儀で宿泊になるので、自宅に戻れるのはこの日しかなかったのだ。

この日は怪獣3号の部活(演劇部)の大会だった。
応援のために、夜中帰宅のヘロヘロの中、区の公会堂へ行った。
終わった後、外で集合写真撮影大会となり、応援に駆け付けた先生方や保護者も集まり、撮影の嵐だった。
無事終わってホッとした。

午後に帰宅してからは、翌27日の通夜、28日の告別式のための準備。
私が27日朝出発で実家泊りになるため、怪獣どもの参列準備を全てこの日にやらなければならず。

怪獣どもが喪服なぞもっているはずもなく、怪獣3号は制服、怪獣1号2号は白ワイシャツと黒ネクタイを買った。
怪獣ども、結婚式の参列経験があるが、葬儀は初参列なので、準備をしても何か足りない気がして仕方なかった。
27日28日は怪獣どもの対応が基本旦那対応になるため、自分が入院でもするかの如く色々気になった。

とはいえ、宿泊になるため、自分の準備もある。
実家とはいえ、自分のものは一切ないため、色々持ち込み…。

演劇を見に行った、準備に追われた、それしか記憶にない。

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今日はピアノとエレクトーンを沢山弾いて追悼する予定だった。
実際は全然弾けなかった。
何故か何も手につかなかった。

弟の逝去から1年(一周忌)

本日2020年7月25日、弟の一周忌を迎えました。
この1年、ご参列・ご連絡・ご心配・そして墓参り等していただいた皆様、本当にありがとうございました。

本来ならばこの時期「東京オリンピック」が開催され、そのために「都内で法要できる状況?」と思っておりましたが、現実は「コロナ禍」のために法要・墓参り等は行わないことになりました。

私、ここ1週間以上、朝3時すぎに目が覚めてしまう事が続いていました。
実は今朝、父も3時台に目が覚めたそうです。弟が亡くなった時刻(推定)が3時台なので、起こされていたのかな?と思う事にしています。

弟は向こうの生活にも慣れて、ドライブでもしていることでしょう。
また新車に乗り換えていたりして?

私は手元に弟の遺品や通院時メモがあるため、心の整理にはもう暫く時間がかかりそうです。

弟の友人・関係のある皆様、たまには思い出してやってください。

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写真1)弟から譲り受けた鞄の中から「とろみ剤」が出てきました。飲み物でも味噌汁でも水分に入れるとトロッとするそうです。術後最期まで水を飲むのも一苦労、すぐ咽る生活だったなぁと思い出していました。

写真2-5)天気が不安定な中、家の近所の緑を求めて3㎞ほど散策。緑を見て空を見て、本当に様々なことに想いを巡らせていました。

1年前の記録を振り返って…亡弟とのやりとり

弟が急逝してからあと3週間で1年になります。

1年前の昨日7/2は(舌癌の管轄である)耳鼻咽喉科・頭頸部外科の最終診察日(※)、明日7/4は(癌で崩れた背骨フォローの)整形外科の最終診察日でした。主治医は前者なので、私は7/2の通院に付き添い。弟と母を連れて大学病院へ行き、主治医とソーシャルワーカーさんと話をしました。
※以降緩和ケアとしての訪問診療に切り替えたため。当時の話はココに。

結果的に、弟の顔を直接見て話をしたのはこの日が最期となりました。

この頃は、通院の日は疲れてしまって、部屋に上がったら降りてこない…弟でしたが、この日は珍しく降りてきて、夕飯の後、暫く2人きりで話をしました。ちょうど我家の怪獣3号が中学生になり学校生活に慣れたり、ピアノ(ヤマハ)の生活も弟を抜いたところでしたので(弟も小学校卒業までピアノ続けていました)、怪獣3号の話から、自分達が怪獣3号の頃、一緒にヤマハに通っていた頃の話、中学校の部活や先生の話など、共通する懐かしい話をしました。

この日の私の帰宅後と翌7/3のLINEは、真面目な内容で、長い文章になりました。

その後もLINEは亡くなる前日まで数日に1度、落ち着いている日は連日やりとりしていました。
亡くなる前日のやりとりでは、次に実家に行く日は8/1と決めていましたし…。

結果的に、文章は亡くなる前日のLINEやりとり、話をしたのはその最期のLINEから暫くたって突然かかってきた電話が最期となりました。

昨日は仕事もあり、この気持ちをどうにか封印していましたが、今日は…その1年前の通院のこと、主治医やソーシャルワーカーと話したこと、弟と直接話したこと、真面目な内容のLINEなどなど振り返っていました。

結果的に、LINEでも電話でも、
「あとは姉ちゃんがどうにかするから自分のことを考えて!」
ばかり言ったり書いたりしていたなぁ…と。

1年前の今頃の体調が落ち着いている時だったかな、「姉ちゃんには感謝してもしきれないほど感謝している」といった内容を丁寧に書いてきたこともありました。

今日は1年前のそんなあれやらこれやらを振り返りながら、弟とヤマハに一緒に通っていた頃に弾いた懐かしい曲を、弾いたり聴いたりしていました♪。

1周忌を過ぎたら、モヤモヤから少しは解放されるかな?少しはスッキリするかな?

お彼岸…弟の墓参りへ

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亡き弟(と祖父と祖母)の墓参りに行ってきました。
納骨式以来、半年ぶりです。

今回は夫と怪獣3号と行きました。
怪獣くんはこの霊園に来ること自体初めてです。

半年前も9月なのに30度越えの暑さでしたが、今日も20度越えの暑さ。弟が晴男だった記憶はないのですが!?
自粛ムードかと思いきや、それなりに人は多かったです。

怪獣1号2号妊娠時の母体緊急搬送時は仕事後に、翌日は仕事休んで、近くはない大学病院まで車で往復してくれた弟。
あれから20年経ったんだよ!彼らなりに1歩1歩頑張っているよ、の報告。
そして、ピアノの試験レベルも演奏レベルも弟を越え、弟も亡くなる直前まで期待していた怪獣3号を連れてこれたことにホッとしています。

霊園は桜並木になっています。
桜も陽当たりの良いところは既に7分咲き。今年は早いですね。

弟の死から半年経ってもふと思う事

弟が亡くなって半年が過ぎましたが、突然ふと考える事があります。

弟が急変したとき何故救急車を呼ばなかったのか?…ということ。
ちなみにこれは単なる疑問であって、賛成反対等の話ではありません。
経過を把握していた私としては、呼ぶことのメリットデメリットは承知しているからです。

私がわかっていることは
・亡くなる前夜20時頃LINEでやりとりしたこと・電話で直接話したこと
・夜中に激痛に襲われ動けなくなったこと
・翌朝4時に母が弟の様子を見に行ったら既に息を引き取っていたこと

結論として、夜中に激痛が走った時、両親も本人も救急車を呼んでいません。
既に大学病院を卒業し自宅での緩和ケア(訪問診療)にしていたからなのか?
大学病院に戻されるのが嫌だったのか?
そこまでの緊急性を感じなかったのか?

私がその場にいたとしても、どうしていたかは正直わかりません。

ただ私が想う事として
・もし救急車で大学病院に搬送したとしても、その後回復が見込める状況であったか?
・翌朝に亡くなることは避けられても、残りの人生=入院生活になったのではないか?
・自宅の自分のベッドで亡くなったことは、実は幸せなことだったのではないか?

2018年5月に再発してからは、家族参加が必要な説明や診察時は私が全て同席しましたが、その中で主治医が「生きる時間を長くすることができても、それが治療で苦しむ時間で延ばすならばQOLの観点からは望ましくなく、QOLを保てる状態で長くしたい。」なる主旨の事を言っていました。

確かに、重篤な状況で半年や1年長く生きたとして、その期間がベッドから全く動けないなり本人にとって苦しいだけの時間ならば「本人にとって」どうなのだろうか?そして家族にとっては「どんな形であれ生きていて欲しい」と思う方が全てなのだろうか?
(突き詰めれば「延命治療をどうするか?」等に繋がるので今回はそこまで掘り下げません。)

良い悪いもなければ、正解も不正解もないことだと思っています。

半年以上経っても、ふとした時に、この「一生答えの出ないことを考える」私がいます。
そして、これからも「答えが出ないことを承知で」ふと考えるのだろうな、と思っています。

…という現実を備忘録として書き残しておきたいと…

弟の逝去から半年…

今日1月25日は、弟の6回目の月命日。
亡くなって半年が経ちました。


まだ、なのか、もう、なのか。
ひと月前も書きましたが、今になって心がモヤっとすること、心が不安定になることが増えています。


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先日、我家の怪獣3号、道徳で「いのち」をテーマにした授業があったそうです。
その日、彼なりに思う事があったのか、帰って来てすぐその話をしてくれました。
そして、「〇〇くん(私の弟の名前)のこと思ったんだよね…」と。


この授業の最初に「いのちとは」と問いがあり、その時、日頃あまり発言をしない怪獣3号が「最も大切なもの」と答えたそうです。


怪獣3号が弟に最期に会ったのは亡くなる9か月前ぐらい。
怪獣3号が一番多忙な時に急変したから仕方ない。


でも、怪獣3号にとっては初めて出た葬儀だったし、それまで私が実家や大学病院を行き来していたし、(急に大学病院へ行くことも出てきたので)状況は適宜伝えていたからか、怪獣3号なりに状況を把握して理解していたのかと思います。


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弟が先に、という現実を消化するには私自身まだまだ時間がかかりそうですが、こればかりは一歩一歩ですね。
弟は今頃向こうの世界で何をしていることやら…。やはり新車でドライブかな?

5度目の月命日

今日は12月25日。
亡き弟の5回目の月命日を迎えました。
7月は暑さ前倒しの如く暑かったのに、気づいたら秋も過ぎて、冬になってしまいました。
そう考えると早く感じます。


手続きその他追われていたものがひと段落し、今更ながら感じることが多くなってきました。


何が…とはっきり書ける状態ではないのですが、心の中がモヤっとすることが増えています。


今頃?今更?何なのでしょうね。自分でもよくわかりません。


しかし、あの「要塞」と化した弟の部屋。いったいあとどれだけの時間をかけたら片付くのだろう?
先日、妹夫婦と、私の夫婦の大人4人(姪っ子世話があるのでその中の実質3人)で、弟の部屋の片づけをしましたが、部屋の中の「けものみち」が「普通の道」になったレベルです。弟がずっと実家住まいだったからなのか?単なる収集癖なのか?もう意味不明なものばかり出てきます。あまりに色々なものがありすぎて、「私は今から終活を始めるべきか?」と思ったほどです。(といっても私はこまめに断捨離しているので余計なものは早々ない…と本人は思っています。想っているだけ「かも」しれませんけどね。)


まあ、こうやって色々悩み、ふと考えているうちに、また次の月命日がやってくるのかな?と思っています。


まあ今の季節柄思うのは、昨年の年末年始が緊急入院で病院で年越しをしたので、今年は自宅で年越しをさせてあげたかったな、という感じでしょうか。。。

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