使命との戦い

亡父の四十九日法要が終わり、物理的には「少し」落ち着いたと思っています。

しかし、1週間もしないうちに、再び「相続」に関わる話が再開しました。

我家の事情で色々複雑なので専門家にお願いすることにしたものの、そのために揃える書類は意外と多いもの。

父の口座が凍結したので、当然ながら、ほぼほぼ父の口座から引き落とされていたものは停止し、母の口座に変更するなり、解約するなり、必要な手続きも次々発生します。

私宛に届く封書も9.5割両親に関するもの。
そして支払い書類が増え
そして返信書類が増え
そして領収書類が増え

この状態が続く日々に、無意識に心が少しずつ疲れていたようです。

最近、気づくと、頭の中が、そのことでグルグルしています。
心の中がモヤモヤしてきて頭痛が出てきて寝込むことも出てきました。

物理的に落ち着いたと思っていた分『心身の拒絶反応を早く起こすようになった自分』に気づきました。

…とはいっても避けて通れない…私の使命…

だからこそ

『無理なく付き合う方法を探しながら進めるぞ!』

という宣言も兼ねて。

父の四十九日法要&納骨

昨日、『父の四十九日法要&納骨』、無事終わりました。

叔父(亡父の兄)、妹一家、我家夫婦+怪獣3号と、身内だけで行いました。

自宅で1人ぼっちで年越しした父の遺骨ですが、(多分実家よりは暖かい)我家に三泊居て、昨日無事祖母(亡父の母)や弟の眠るお墓に入れる事ができました。

弟の四十九日法要&納骨の日も秋にしては暑く天気の良い日でしたが、昨日も寒すぎず清々しい程な青空でした。
2人とも天気男だったっけ?と思いつつ。

そのまま実家に行き、早速、父と弟の位牌や写真類を並べ、台を1つにまとめました。

きっと2人で仲良くドライブでも行くことでしょう…

----------

母が、葬儀に続き四十九日法要も参加できず、(実質上の)喪主に続き今回も責任者でした。

大きなイベントが終わり、少しは肩の荷が下りそうです。

…とはいえ、相続人代表としての任務は初夏まで続く予定です…

----------

昨日移動中、車から観た「東京タワー」と「スカイツリー」が大きく見えたなぁ…

父が亡くなりました

2022年11月21日 父が亡くなりました。

ALSによる誤嚥性肺炎です。
母が1月に緊急入院してから初めて、10か月ぶりに母と父が1時間面会した翌日、
静かに眠るように旅立ちました。
面会して安心したのでしょうか?

私が施設に着いた時には前日とは逆に全てが弱くなっていました
父の心臓・脈・呼吸・体温
それぞれの動と静と止を体感することになりました。

病院だったらきっと測定機器がピーっとなって終わりを告げてくれるのかもしれませんが
ホスピス系施設でしたので私が看護師さんを呼んで確認してもらい
最終的に訪問医が確認をして終わりました。

11月29日にミニ葬儀と火葬式を行い、無事実家に戻ることができました。

火葬前の30分とはいえ
お経にお焼香に棺あけてお花もモノも入れて
戒名も付けていただき

近親者のみで短時間とはいえ、喪主(ではなく責任者でしょうか?)の私としては充分に満足いくもので送り出せたと思っています。
一緒に対応した妹も同様に思っていると思いたいです。

参列していただいた親族のみなさま、ご心配いただいた実家ご近所の皆様、
私の職場や関係者のみなさま
子供達に関わる方々
そして妹および妹家族と親族、私の家族と親族には感謝しかありません。

父は家族の前では「典型的な昭和の頑固おやじ!」で最後の最後の最後までイライラすることが多かったのですが
戒名をつけるにあたり住職さんと父の話をしているうちに様々な姿を思い出し
イライラは火葬と一緒に燃やしました。

誠実通り越して几帳面すぎる父ですが肝心な「終活」を全くしてくれなかった上に
母も特養にいるため

「立つ鳥跡を濁さず」ならぬ「立つ鳥跡を濁しまくり」でもう手に負えません。

実家は、私が既に出てから建て直したこともあり、正直、どこに何があるすらわかりません。
今までも宝探しのような日々でしたが、これから更に大変になるのでしょうか?

----------

こちらは4か月もUPしていなかったことに気づきました。
(Facebookもほぼ更新していません。唯一更新しているのがTwitterです。)
両親の介護に関することを定期的に書いていこうと思いタグならぬ【】までつけていたのに全く更新できませんでした。
少し落ち着いたら色々UPしていきたいと思います。

【両親介護15】…申請書類が続くの巻

両親とも入院した際、父は様々な申請と制度の都合で入院費用が実費分だけになったため、それほど高くなかった(部屋代と食事代とおむつ代なので戻りようがない)のですが、母の方は高額医療費を超えた月があったようで先日「返金」の申請書が来ました。

時期は違えど、父も母も、退院後に申請書類が届き「また…」という感じな私です。
※福祉は申請主義なので仕方ないです※

これは医療の方ですが、そもそも2人とも要介護なので、そちらに関する手続きも少なからずあり。

実家の住所が相模原市のため、どうしても、提出先が相模原市役所や相模原保健所。
しかも役所は平日のみ。
しかたないので、厄介なもの以外は電話確認した上で、郵送で済ませています。

両親とも昼間の連絡先の欄は、実家を書いても出るわけがなく、各自持っている携帯の番号を書いていますが、
そもそも代理申請なので
注)2人とも施設で、父は名前が書けるかどうか、母も書類1枚埋めるには職員に付きっ切りで対応していただく必要あり

申請書や添付書類の他、施設の連絡先や私の連絡先も書いて添付しています。

週末も1つ書きました。

全く急がないものの、本当はもう1つ(2人分)あるのをまだ申請していません。

これもいつまで続くのやら…いやいや親が施設にいる以上ずっと続くのだよ…と自分に言い聞かせ…

【両親介護14】…動き続けたお金

両親がそれぞれ別の病院へ入院し、それぞれ別の施設にいるイマ。

2つの病院も、2つの施設も、私が身元引受人=第一連絡先となっているため、
病院と施設に関する通知書類・領収書・請求書等は全て私に届きます。

正直言って、私のところが「書類の山」です。
ただ、契約書や報告書も勿論大事なのですが、領収書等は確定申告等で使われるはずなので、適当にしておくわけにもいかず。
クリアファイル10枚近く用意して、それぞれ表に施設名なり書き込んで、そこに時系列に入れています。
最初に母が倒れてから4か月半を超え、もう領収書の山も半端ありません。

ただ、実家周りの年度初めの支払いが済み、最後まで役所との兼ね合いのあった「父の入院費」がやっと確定し(3月半ばに退院していましたが手続きが色々と…)それを払いきったのと、施設使用料等が基本銀行引き落としに移行したので、支払いの嵐からは一応解放されました。

勿論、支払いがゼロになるわけはなく、現在の施設でかかる実費分で銀行引き落としのできないもの等は、毎月請求書が届いたら払う形になります。あとは両親が施設でイレギュラーな出費があれば仕方ないかと。

ということで、1月からの両親に関する支出計算、やっと一旦締めることができました。
銀行振込・口座間移動・カード払い・現金払い…
全て私の口座の残高に影響するのは同じなのですが、支払い方法が様々すぎて、専用家計簿付けました。
それも1円も狂わず、やっとこの週末に終了しました。

何はともあれ、かなりの額が動いたので、それが全て一致して、ひと段落して、かなりホッとしています。
あとは立替分の補填問題だけです。

【両親介護13】…ALS進行と物忘れ

今回はALSの父の話。

父は、現在、サービス付き高齢者住宅(=サ高住)に居ます。
癌末期や難病の方が利用可能な施設です。

要介護認定更新が遅れており、まだ確定はしていませんが、おそらく要介護4です。
ただ、認定者の診断書や見解次第では要介護5でもありえるような、勝手ながら要介護4.5という感覚です。
(ネット上の書き込みを見る限り私では判断つかず…です。)

父の施設は面会24時間可能なものの、サクッと行ける距離ではないため、どうしても週1~隔週1回になってしまいます。

大学病院退院後そのまま今の施設に入所してちょうど2か月経ちました。

物忘れが進んだ感はありますが、それでもまだ認知症という域には入らず、頭は一見しっかりしています。
ただ、今月あたりから手の力が更に起きてきたようで、携帯電話を持つ・かける作業がしにくくなったと言っています。
年齢の割にはPCが使えるので、部屋にはPC持ち込んでいますが、こちらもどうにか人差し指1本で打っている感じです。
以前からそうでしたが、最近は震える右手を左手で抑えながら打っています。(4月に実際見ました。)

手や指の動き自体もですが、身体自体も倦怠感なのが疲れやすくなったのか?
食事時とその後暫くは車椅子に座って起きていますが、その車椅子に移動するのが「介護職員2人がかり」になっていまい、面会に行った際はそれでも起き上がっていたものの、先日の面会時は横になったままでした。

ただ寝返りも自分でうてないようで、今回初めて床ずれを発見。

前回の面会からちょうど2週間でしたが、決して体調が良いとは言えないなぁ…という感じでした。

食事はなんとか専用箸とスプーンで自分で食べているようですが、やはり日々食べにくくなっていると言っています。

父を介護していた母が先に倒れ、突然母が入院・父が短期入所になってからもうすぐ4か月経ちます。
当然ながら、その日から父と母は別々の病院や施設で過ごしているので、父と母も電話でしかやりとりができない状況です。
父の施設が面会OKという珍しい状況で、母の施設(老健)は面会も外出も禁止です。
前回記載した「母の通院」は、入院していた病院での経過観察のため、例外中の例外です。
※父も今の施設に入所する前までは、短期入所施設も大学病院も面会禁止でした。
 そのため父の面会はここ2か月の話です。

2年前のコロナ禍当初、高齢者施設で面会禁止になり、認知症の悪化等が言われていた記憶があります。
その頃は気にしていませんでしたが、この4か月、両親の様子を面会・電話・カンファレンス等で見聞きする限り、認知症といいますか「物忘れ」が進んでいるというのは常に感じます。

こちらとしては「書いて残す」ようにしているのですが、
父はそもそも字がほぼ書けないため、「こちらが面会時にメモを残す」「メールで知らせる」ようにしていますが、
母は面会できない分自分でメモをして欲しいものの、そもそも聞いたことをメモした時点で内容が異なっていることが多いとこがあります。
当然、メモが怪しい母とメモができない父では、話が食い違うことも多々出てきているようです。

父と母のや要介護や現在必要な介護・医療レベルが異なるため別施設にいるのですが、両親にとってどう進めることがBetterなのか、父の弱る姿を見る度に悩むところです。

実際には面会や電話後に一旦悩み、生活に追われて中断し、また面会や電話時に悩み…の繰り返しです。

障害者情報に、介護情報まで…頭がパンクです。

注)今回からタイトル「両親介護の始まりその〇」から「両親介護〇」に変えました。

【両親介護の始まりその12】…母の通院

母は老健に入所しているため、内科含め基本的なケアは訪問医にお願いできます。
しかし、今回は実家に居た際からの3か月に1度の通院のため、相模原市内の中核病院まで行くことにしました。
本当は転院しても良いのですが、老健の入所期限が最大半年と決まっているところに、その後の居場所も未定なため、転院せず連れて行くことにしました。

母は移動こそ車椅子ですが、車椅子←→車の座席の移動さえできれば、普通の車に座っていることはできるため、退院時と同様、私の車で移動。

現在コロナ禍で、母の施設は面会も外出もできないので、まさに特例です。

車の移動は問題なく、診察時の対応は看護師さんが丁寧に行ってくださり、大きな問題もなく終わったのですが…

一番のネックは車の乗り降りとトイレ!

〇車の乗り降り
腰のみならず身体全体の筋肉が「退院後1か月半で」変わっていない事を証明するかの如く力が入らない。
どこを掴んでも、身体が重すぎて上がらない。(実際体重も増えている。)
当然抱えて乗せて…なんて論外。
スタッフのフォローでどうにか乗り降りした感じであり私1人では絶対に無理。

〇トイレ
当然身障者用トイレを使うものの車同様移動が不安定。
車と違ってトイレの手すりは車椅子の高さに合っているので日頃施設内でやっていることと同じはずなのだが…???
以前のカンファレンスで「手順をしっかり覚えればできそうなのだが…」とスタッフから聞いた話を思い出す。
まあトイレ自体が広いので、私のフォローでもどうにか対応できましたが…。。。

私、一応「サービス介助士」の資格は持っているので車椅子の扱い方も最低限の知識は持っているのですが、久々の実践+母の記憶力低下で神経減りました。次の通院は4か月後なので、その時までには母の身体がもう少し動くようになっているといいな…というより、なっていないと困るのですが…。

【両親介護の始まりその11】…娘でも進まぬ手続き

父の福祉手続きのため、入所中(現在両親とも車椅子)の両親に代わり、私が実家のある相模原市役所と相模原保健所に行ってきました。

そもそも、相模原の市役所自体、結婚直前に住民票等とるために行ったっきり25年ぶり?

しかも当時は政令指定都市になる前の相模原市。
政令指定都市になり、相模原市役所兼中央区役所となっていることにはじまり、市役所周辺も建て替え含め、様々な機能が分散し、建物が分かれ、正直「迷子」状態。

市役所、保健所とも、案内所で色々聞いて回る事態に。

それだけでも一仕事だったのですが…。

それよりも今回大変だったことが、家族、娘であっても「同居家族でない」ことで何も進まないこと!

特に私の場合、結婚して同居以前に住所も市外で苗字も違う…ので、両親との繫がりを証明するために戸籍抄本が必要。
両親の住民票含め書類を取るために本人たちが作成した「委任状」が必要なこと。

委任状もフォーマットはあるので、両親に書いて貰えば良いのですが、父はそもそもペンが持てぬ状況、母も誰かが付き添って1つ1つ説明しなければ埋められぬ状況。それも含めて事前に市役所に電話で確認して書類を用意して提出したところ、電話と窓口の話が違う!!!!!

課ごとに対応が異なるのは構わないのですが、事前確認と実際窓口で言われることが違うってどういうこと?????

私、市役所内で爆弾3つは落としてきました。
お願いだから、電話と窓口の説明は同じにしてください!!!!!相模原市役所!!!!!
(2つの課で起きたので、次同じことが起きたら、絶対苦情出します!!!!!)

まあ、住民票等が簡単にとれても困るという逆の考えもあるのですが、字が書けない、字を書くのが危うい人でも委任状が必要というところをどうにかしていただきたい…というところでしょうか?

最終手段として委任者本人の名前だけ直筆なら良い(+捺印)ということがわかったので、次回からは母に名前記入だけお願いすることになりそうです。

それ以前に市役所や保健所に行く必要がなくなれば良いのですが、要介護者であり、介護サービスを受けている以上、今後もゼロということはないでしょう。多分。

市役所においては、家族であって家族でないような、複雑な気持ちになりました。。。

【両親介護の始まりその10】…母のカンファレンス

母の入所した老健は、入所1か月したら「全体カンファレンス」が行われます。

所長はじめ、看護師・介護士・理学療法士・生活支援員(ケアマネ的存在)と家族です。

我家の都合で、1か月のところが1か月半後になってしまいました。

具体的なことは書けませんが、紙面含めて内容が分かりやすく書いてあり、スタッフで共有してケアしている様子がよくわかりました。

ただ、元々積極的に歩く人ではなかったのもあり、体幹や股関節周りが弱すぎるようで、自力で歩くにはまだまだ時間がかかりそうです。
面会できないからか、リハビリの様子を動画で見せてもらいましたが、素人の私が見ても、歩くのは程遠い…。

また、母の話は鵜呑みにできないこともよくわかりました。
確かにシルバーカーで歩いているのですが、あくまで1回あたり3~5mかつ直接のみ。
本人が50m歩いた…ってどういう意味でしょう?
距離感覚が壊れているのか、休み休みのトータルが50mなのか?

老健は、入所3か月はリハビリ週6ですが、その後は週3になります。

残り1か月半で、どこまで回復するのか?

老健の入所期間が最大で半年である以上、色々念頭において検討を始める時期なのかもしれません。

【両親介護の始まりその9】…父の退院&入所

3/9(水)に怪獣3号の卒業式が終わって早々、3/11(金)に父の退院&入所日が正式に決定。

父の施設は洋服等一通り用意しなければならないため、週末に姉妹で父の荷物の準備をし、
3/15(火)に退院および入所。

母の時と同様、退院後に入所のため、病院からの依頼書類も多く、退院荷物もあり、更に実家経由の私の車には入所用の荷物がどっさり。

そんな状態で、退院手続きを済ませ、父と妹は介護タクシー、私は自分の車で施設移動。

車で行くのは初めてなので、近くで迷子になりつつ、どうにか到着。

同じ相模原市内なのに、実家→3km→病院→6km→施設。
行くだけで大騒ぎ。

その日は全体カンファレンスの後、契約手続きの嵐。

父の場合は、部屋賃貸契約に始まり、訪問看護・訪問介護・訪問医・薬局それぞれと契約。

利用者本人の父が字が書けないので、利用者→父、家族代表(保証人)→私で、ひたすら住所と名前書いて、捺印して…。

父の荷物を車から移動させたときには、施設に着いてから3時間を超え、結局施設に5時間近く居たような気がします。

個室で部屋は8畳ぐらいあるのですが、介護用ベッドですし、本人も車椅子。
部屋の端にはロッカータイプと引き出しタイプのタンスがそれぞれあり、トイレも広く、いざモノを持ち込むとあまり広く感じないというかちょうど良いというか…。

この日は移動と契約と荷物運び入れただけで終わってしまった…というのが現実なので、全てはこれからかと。

しかし、姉妹としては両親が退院・施設入所となったことで、ちょっと落ち着いたかな、という感じです。

※実際には父が難病のため、入院に関して手続きが多々あり、病院での会計は先になります。
 とはいえ、同居してない、苗字も違う私が手続きを進めるとなると厄介なことが多く、ちょっと時間がかかりそうです。

何はともあれ、どうなることやら…。

より以前の記事一覧

2023年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30