友人から届いたお線香

弟が亡くなって3週間経った今日、古くからの友人から荷物が届いた。

開けたら「お線香」が入っていた。

やりとりは頻繁ではないものの、SNSや年賀状で近況は知っている、唯一今でも連絡を取っている「地元」の友人。
幼稚園・中学校・高校と一緒で、大学も就職後も友達の友達繋がり…等で縁のあった、ある意味貴重な友人。
(実家同士徒歩圏なのだが小学校だけはギリギリ学区が分かれてしまった…。)

私の弟妹の事も勿論知っているので、早期に連絡するメンバーとして書き出していたのに、私が連絡し損ねていた。。。

そしたら、「ブログを読んで知ったから!」と、お線香を送ってくれたのだ。

彼女もSNSを使っているとはいえ、積極的に使っている感じではなかったので、私がブログをやっていることは知っていると思っていたが、読んでいるのは知らなかったのだ。

でも、いざ荷物が届いて、幼少期から私や弟妹を知る友人に、当時のように私だけでなく弟妹のことも「当時の呼び名」で言って(書いて)くれる友人に、上手く書けないが「安堵感」「安心感」のようなものを感じた。なんだろう?既にオープンにしている事ではあるが、やはり、「弟のことも幼少期から知っている友達」なのが大きいのかもしれない。

彼女も結婚しており、普段会う事は全くないのだが、それでも直接渡されたかの如く嬉しかった。

きっとこれも読んでいると思って。「本当にありがとう!!!」

数あるルートに慣れてきました

私の家(横浜市港北区)から実家(相模原市中央区)へ行くまで、車で移動するには、様々なルートがあります。

なにせ、直線で動ける道がないので、いくつかの平行する道のどれを渡り歩く、ならぬ渡り走るか、なのです。

国道をメインとするルートが一番わかりやすいのですが、時間帯によっては「相当」渋滞します。

実家に車往復するようになったのは、昨夏ぐらいからなので、そのころは「寝ぼけていても運転できるのでは?」というルートを1つ確立し、主にそこを走行していました。ただ、この2か月は実家往復が基本車となり、走る回数が増えてくると、私の負担が少なくかつ時間ロスの少ない道はどこ?とチャレンジするようになりました。

行きは時間帯や曜日によって混雑状況がかなり変わるので、ナビが毎回知らないルートを表示してくれます。おかげでここ4回、毎回違うルートです。前半は同じルートなのですが、後半に「ここはどこ?」というルートが出てくるのです。でもおかげで、新しい発見もあり、疲れながらも「この道なら大丈夫だろう!」「この道の方が抜け道にはいいかも!」と思える道も出てきました。

帰りは21時~22時を走るので、どこを通っても渋滞はほぼ避けられるのですが、国道は平均速度が速すぎるとか、(私が弱いのですが)街灯で目がショボショボして疲れてしまうなどの難点で疲れてしまい…。でも国道使うのがやはり早いので、途中まで国道、途中から慣れた一般道など、組み合わせが増えてきました。

そんなわけで、元々行きと帰りで道を変えているところに、それぞれバリエーションが増え、ちょっと嬉しくなっています。
でも新しい道はどうしても「ここで曲がるんだよね?」含め神経使うので、帰宅後の疲労感は増えてしまいます。

ただ、こんなことを連日やっていたら、運転が得意ではない私でも、片道30㎞の運転に自信が付いてきました!

実家族4人の時間

弟が亡くなってから、気づいたら半月が過ぎていました。
そして通夜から2週間経ちました。
あっという間に時間だけが過ぎて行きます。

この2週間、物理的に忙しくて、両親の代わりの手続きも多々あり、実家に行くか、自宅でメールか電話対応する日々。

亡くなったというより、また入院して家にいないだけでしょ!的な感覚が続いていました。

亡くなってから葬儀も含め、実家族4人(両親と妹と私)が揃うことはあっても、4人でゆっくり話すことはできずにいました。

今日初めて、4人が集まり、ゆっくり話をすることができました。本当の目的は「探し物」だったのですけどね。
急ぎの探し物は見つかったことと、片づけは四十九日過ぎてからで良いという話もあり。

時間を割いて行った妹はどう感じたかわかりませんが、私は、今週(親の代行で)弟の手続き入れたら3度めの実家方面お出かけで、正直心身お疲れモードでした。ただ、今日は父が片づけより話をしたい…という雰囲気を醸し出していましたし、4人揃ったのも久々だったので、まあそんな日があっても良いのかな、という感じな時間を過ごしました。

世間がお盆休みなので、手続き等の動きの続きはお盆明けになります。

この半月、連日あまりにドタバタしていたので、お盆休み中ぐらいは、少しペースダウンで、この間手薄になっていた家族フォローに充てたいと思います。

最終的には親が決める事ですが、私も妹もいざというとき飛んでいける環境(家庭状況や物理的距離)ではないのは事実。
四十九日過ぎたら、今後の事を考えて欲しいな、と思っています。

とりあえず、ちょっとひと段落したかな?と思いたいイマ。

本庁訪問と退職手続き

今日午後、亡き弟の職場の本庁に行ってきました。(一応公務員です。)

トップへの挨拶と、退職に伴う手続きです。

本来は挨拶も手続きも両親が行くべき場面なのですが…父は車椅子による移動の問題・手も沢山の書類を記入するには厳しく、母はヨタヨタ歩きで辿り着くか不安なところに書類の山で頭が混乱するのが明らかなので(泣)、私が両親に代わって1人で本庁へ行ってきました。

手続きだけならまだしも、(こちらから希望したとはいえ)トップとの面会アポも取っているので、私にとっては喪主代行以来の一大イベント。

最初がトップとの面会、かつ初めて行く場所だったので早めに出たら、順調すぎて予定より早く着きすぎました(笑)
ただ、私に付き添ってくださることになっていた弟の上長さんが、それを見越して早く来てくださったので助かりました。
弟の職場に関することは、その方と私で直接やりとりしていたので、性格を読まれていたかも?

トップとの面会は5~10分程度と聞いていたのですが、いざ行ってみたら応接室に通され、秘書さんはお茶出してくださるし、思わず部屋の中キョロキョロしてしまいました。こんな貴重な経験なかなかないですからね。
トップには、療養休暇取りつつ最期まで務めさせていただいたこと、葬儀に参列していただいたことへ、両親に代わってお礼を伝える…だったのですが、トップの方が数ヶ月前に交代したばかりで、約2年の闘病生活の全貌はご存知なかったこともあり、逆に色々聞かれることもあり、気づいたら20分ぐらい話していたような気がします。

その後、会議室に移動して、手続き書類を1つずつ説明を聞きながら記入する作業。
単なる退職ではなく死亡退職なので、いわゆる退職金や源泉徴収の話は勿論、遺族年金、埋葬費用請求、互助会からの給付金、そしてそれらを受け取る(相続)するための手続きなど。普通の退職手続きなら自分も経験があるからまだしも、まあ、死亡退職だと手続きが倍増するのね…と感心半分、総務も大変だなぁ半分。個人情報の関係で(職場でなく)直接関係機関に連絡を必要とするものが保留になっている他は、終了させました。予想通り、この手続きだけで1時間半近くかかりました。

このような形で弟の職場の本庁へ行くことになるとは思ってもみませんでした。
ただ、付き添ってくださった上長さんが、本庁にいる弟の同期や、(場所を数年単位で点々とするので)以前の場所で一緒だった方はじめ、弟にゆかりのあった方々を見つけては声をかけてくださり、私を紹介してくださり、色々な方々に挨拶することができたことは、私としては本当に嬉しかったです。

これで、お盆明けに、弟の最期の所属場所となった事業所に挨拶に行ったらひと段落かな、という感じです。

私がふと思い立って依頼し、現在の上長さんから以前のトップの方に、弟が亡くなった事とそれまでのお礼を伝えていただけました。
発症した頃や転移してすぐの頃のトップで、大学病院にもお見舞いに来ていただいたと聞いていたものの、異動されたため今回の事やお礼を伝えたくても私では手段がなく。今日の昼にふと思い立ったので、両親にも相談せず上長にお願いしましたが、快諾していただき無事連絡が取れた後すぐ私に連絡が来ました。「お悔みと共に、報告してくれたことに対して逆にお礼を言っていた。」との事でした。私も無茶言った…と思う反面、私の気持ちを伝えそれを理解してくださった上長にも感謝です。両親には事後報告になりましたが、お礼を伝えるタイミングもありますからね。

私の代行職は当面続きますが(特に外回りや手続きが厄介なもの)、とりあえず大きなイベントがまた1つ無事終わってホッとしています。

画像は13時すぎ到着時の現地。快晴で暑かった…。
夫の職場すら(迎えで正門前まで行っても)中に入ることはまずないですからね。
ココに来ることは2度とないだろうな。幹線道路沿いなので車で通ることはあるかもしれないですけどね。

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旅立ちました(まとめ)

さて、ここまでわざと直接的な書き方は避けてきましたが…

7月25日木曜日早朝、弟が亡くなりました。
舌癌の全身転移によるものでした。

一昨年10月に舌癌ステージ2と診断され手術し、術後は落ち着いていました。

昨年5月に左首リンパへの転移が判明してからは、手術と治療の日々でした。

それでも腰回り中心に転移が広がり、今月中には起き上がれなくなるだろうと言われ、訪問診療による緩和ケアに変えた矢先の急変でした。自宅で息を引き取っていました。

約2年の闘病生活でしたが、この1年は入院や通院ばかりの日々で、最後は松葉杖でやっと歩く状態でした。

仕事も数えるほどしか通勤できず、自宅で過ごせた時間はどのぐらいあったのかなぁ?

今まで部分的には経過なり思うところを書いてきましたが、全体像はこのような状況です。

亡くなる前日夜のLINEと電話が最期となりました。

声も出しにくい状況なのに、泣きながら必死に話していました。

本格的に起き上がれなくなるのは時間の問題だな、とは感じたものの、その9時間後に息を引き取るとは思ってもみませんでした。
でも、きっと、本人の中では、何か感じるものがあったのかもしれませんね。
本人には確認できませんが。。。

この電話で伝えた私の最期の言葉も「姉ちゃんに任せておけ!」でした。

弟と妹が離れているので、真ん中といえども末っ子体質が強い弟。特にこの1年は、お願いや不安や心配事があると、ふと私に電話をしてきた弟。その都度「今は自分のことだけ考えて!あとは姉ちゃんがどうにかする!任せとけ!」といったことを言い続け、弟が「わかった、あとはお願いします!」と言って切るのがパターンでした。これで安心していたかは今となっては確認できませんね。。。

大学病院付き添い時はいつも「先生の話は姉ちゃんが全部理解してくれるから」と主治医にまで言っていました。おかげで、私の机の上には「弟の通院時に持参するファイル」があるほどです。

最期に会ったのは(訪問診療に切り替えるため)大学病院通院卒業となった7月初めでした。この日は実家への帰り道も、自宅に着いてからも、弟は久々に穏やかに話していました。この日の夜には、今までのたくさんの付き添いへの感謝を送ってきました。病院から解放された安堵感が相当大きかったのだろう…と感じていました。

27日土曜日に通夜、28日日曜日に告別式が無事終わりました。
ブログのタイトルにはその言葉は書かず、その日に感じたことだけを書こうと「備忘録」としました。
既に気づかれている通り「1日め=通夜」「2日め=告別式」でした。

弟は独身でしたので、父が喪主となりましたが、その父も難病を抱えており、弟の闘病中と同様、亡くなってから今日までも私が代わりに動くことが多々ありました。
そして、今後の手続き等も、父母の代わりに動くことが続きそうです。

さて、天国に行くにはどのぐらいの時間がかかるのでしょう?

弟は運転大好き人で目的地は勿論、途中休憩のPAやSAでも画像UPしていました。

もう目的地に着いたのかな?今頃どっかのSAかPAで休憩中かな?
もし、いま弟が居る世界にSNSがあったならば、きっと景色と車の画像をUPしているだろうな。。。

7月28日(2日め)備忘録

既に、ならぬ、とっくに昨日(7月28日/2日め)の備忘録

・喪主は2日めも忙しい
 1日めと唯一違うのは喪主の挨拶があるかどうかぐらい。
 1日めに続き2日めも確認作業が多い。
 父と母の代わりに動き回る事多々…。

・霊柩車にもランクがある
 私が遺影持ち霊柩車乗ったら左ハンドルな事に気づく。
 ランク下の方が日本車で上がると外国車になるそうな。(運転手さんの話。)
 父の話では「弟が車大好き人間だったから」霊柩車のランクを上げたらしい。
 確かに乗り心地も良かったが、最期の時間なので遺影と棺とずっと話していたからなぁ…。

・遺影が3つ?
 通常の額に入ったもの。
 仏壇等におけるL版サイズ写真立てに入ったもの。
 祭壇の一番上にあったポスターサイズのものはその用紙だけ丸めて入っていた。どこに使うんだ?

・棺は重いらしい
 自宅から棺を出した時、男性スタッフ2人+女性スタッフがちょっと手伝うぐらいで運んでいた。
 そんなもんなのか?と思っていたが、霊柩車に乗せる時は、男性沢山で運んで「重い~」と。
 中に特別重いものを入れてはいないはずだが???

・棺に入れるもの
 身体の周りを会場の生花で飾るのだが花だらけ。
 今回入れたのは「楽譜のコピー」と「車のカタログ」。
 お友達からCDをいただいたのだが入れられないのでパッケージに使われている表紙だけ入れることに。

・骨格図実物編?
 家族が火葬終了直後に立ち会うのだが、出てきたばかりの時は身体の形のまま。
 当たり前なのだが人の骨格図の状態そのもの。(もちろん骨の強さや脆さで骨全てが残るわけではない。)
 背骨を手術した際に骨に取り付けた金属が焦げて付いていた。
 燃えないから当たり前なのだが、外から見えない場所の手術跡を見た。説明で聞いていた通りなのが今更わかった。

・リクエストしておいて…♪
 BGMとしてピアノ演奏ありというのを27日に知り(27日はバイオリン演奏だった)ピアノで弾いて欲しい曲を10曲ぐらいリストにしてお願いした。
 何をしていてもイントロで曲を判断するので、リクエストした曲は(マイナーなもの以外は)弾いていただけた。
 多分葬儀という場にあった曲というのは黙っていても演奏されると思ったのでリクエストには入れなかった。
 ただリクエストしておいて何だが、本人が発表会で弾いたり、私と連弾で弾いた曲をリクエストしたので、ふと心が苦しくなる時も。
 リクエストしたのは私だよ!と自分で突っ込んでいた。
 喪主の挨拶の時に、棺に入れた「最後の発表会で弾いた曲」が流れていた…。

こんな感じかなぁ…。もう24時間経過しちゃった。
時間の経つのが早い。
2日めも「姉ちゃんに任せろ!」ということで頑張ったよ。

7月27日(1日め)備忘録

本日(7月27日/1日め)の備忘録

・玄関で家用車椅子から外用車椅子に乗り換える父を支えることができた
 ヘルパーさんのようには上手くいかないけれど、父の言葉通り動いてみたらどうにか乗り移れた。

・車椅子で30㎝程度の段差を上ることができた
 介護タクシースタッフのやり方を見よう見まねで前輪→後輪と父を乗せたまま上ることができた。

・介護タクシースタッフはどこまで車椅子を押してくれるのかを知った
 玄関に入るまでは押してくれる。だからその後の三和土と上への移動はこちらでやらなければならない。
 今日は私が対応できたけれど、父と母だけの時は一体どうやっているのだ???

・介護タクシーの大きさは様々
 父が利用している介護タクシーは車椅子2台に普通席4つという大きいものだった。車椅子1台のものしか普段見かけないので驚いた。

・棺は大きい・長い
 実家1階の部屋は庭に面していてその端が駐車スペースだから、出棺は庭側の窓からスムーズにできた。
 ただ玄関側から出すには棺が通れないと言われた。意外と長くて大きいから回らないのだ。
 家から出棺できたことは幸せなのかもしれない。

・1時間半前に集合してもやることたくさん
 スタッフと打合せ(座席確認・返礼品や食事の注文確認・お通夜告別式の流れ)
 →食事確認(休憩室で実際に用意された食事数を確認しスタッフと顔合わせ)
 →お坊さんに挨拶(顔合わせ・戒名・お布施・今後の法要の説明)
 1時間前集合な親戚やお手伝いの方々に挨拶
 喪主は1時間半前集合だが、着いてもあっという間に時間が経つ。
 集合より早めに着いたから、先に到着していた棺の弟とはゆっくり会えたのが幸い。

・当初想定を大幅に上回る方に参列いただけた
 弟が独身なので身内は少ないのだが、現役社員というのは大きい。
 しかも3年単位ぐらいで勤務地が点々とする会社だったから顔も広いらしい。
 職場関係の方だけで約150名参列いただけた。そこまでとは想定外で返礼品を追加した。
 友人関係の連絡は(弟の携帯が使えず)SNSによる個別連絡頼みだったが参列いただけてホッとした。

・親戚に会える機会
 冠婚葬祭は親戚が集まる場でもある。特に実家を出ている私にとっては、5年前の妹の結婚式以来という伯父伯母がほとんど。

・近隣の方がわからない
 私は実家を出て25年経っているので、同じ自治会班の方でも転出転入はあるし、ずっといる方でも顔の記憶が曖昧だったり。

・街が変わっている
 斎場までは自宅から車で15分ぐらいだが、そこまでの景色が実家に住んでいた頃の記憶とかなり変わっていた。
 家の建て替えはまだしも、空き地がマンションになり一戸建てになり店舗になり。不思議な感覚。

・手続きはまだまだ
 現役社員が亡くなったから当然なのだが、身内が代わりに退職手続きはじめ諸手続きをしなければならない。
 そう時間の経たないうちに、本庁や今の所属へ出向くことになる予定。
 所属長さんからできる限りの調整はしてくださると言っていただけたが、父母代わりの私の出番はまだまだ続くらしい。
 
・一見落ち着いているが?
 この1年、父の病状もあり、私は弟の手術やカンファレンスに全て付き添ったきた。
 亡くなったという事実を一見冷静に受け止めているのは、その影響だと思う。
 ただ1つ下なので幼稚園から中学まではずっと一緒、ピアノもずっと一緒に通っていたから、共通の想い出も多い。
 難しいね。。。

書いているうちに寝ていて、地震で目が覚めて書き始めたら既に28日早朝。。。
今日も「姉ちゃんに任せろ!」ということで頑張ります。

旅立ちの日

いつなにが起きても不思議でない!と言われていても、

いざそれが起きると自分の無力さを感じざるを得ない1日だった。

覚悟はしていて、今は現実を受け入れた「つもり」になっているけれど、

気が張っているだけかもしれない。

でも私より苦しんでいる両親の前で、

私は「影の家長」として動くだけ。

あなたに発した「姉ちゃんに任せておけ!」という言葉は私の本心。

今日も任務全うしてきたよ。

土日も全うするからね。

最後まで「姉ちゃんに任せておけ!」

弟よ、その姿をちゃんと見ててよ!

大学病院通院終了の意味

先週、実弟が、1年10か月お世話になった大学病院を卒業しました。
期間としては短いですが、この間、通院に入院に手術に、半分どころか2/3ぐらいの日数は病院にお世話になっていたのではないかと思われます。特にこの1年に限れば家にいた日数の方が明らかに少ない程、本当に病院漬けな日々でした。

大学病院の卒業にはいくつか意味があると思います。
①急性期を過ぎたので地域の病院へ転院する
②治療方法・内容が変わったので他病院へ転院する
③治療を終了する

弟の場合は②と③です。(癌末期による緩和ケア)
大学病院への通院自体が厳しくなり、在宅医療(訪問診療)に切り替えました。週に1回、医師と看護師さんが訪問して診察します。薬は提携している薬局から届けられるそうです。根絶的治療はできず、対処療法しかできないのですが、その効果と通院のメリットデメリットを考え、積極的治療やリハビリは当面行わないことになりました。訪問診療と言えども緩和ケアは続くので②とも言えますし、通院で行う放射線治療等の積極的治療は当面行わないという意味では③でもあります。

経過観察も終了しての卒業…であれば③が一番喜ばしいことなのかもしれません。
そういった意味では今回は複雑なところもあります。

ただし、本人が痛い身体を動かして通院すること、その治療によって得られる効果。
メリットデメリットを考えた時、本人がQOLを一番に考えて出した今回の結論なので、姉としてはこれを受け入れ、見守っていきたいと思います。

弟がここに至るまで、この1か月半、主治医・SWさん・ケアマネさんなど多くの方々にお世話になりました。
自分の心身の声を聴きながら、関係するスタッフの意見を聴きながら、家族の声を聴きながら、1日1日大切に過ごしていってもらいたいと思います。

誰にとってのQOL?

備忘録的に

QOL(生活の質)という言葉

病気が進行してくると必ず出てくる言葉

本人にとってのそれを維持するために

周囲のそれが保たれなくなる危険

全てを維持するにはどうすれば良いのか?

ハード的なこと(モノやヒト)は頼めても

ソフト的なこと(心のケア)は?

介護を依頼すること

された側の心身が疲弊する怖さ

それぞれのQOLを保つにはどうしたらよいのか

妥協点をさぐるしかないのか

それはどこか

いまこんなことを悶々と考え続けています

とりあえず舵取りの私が倒れないように

そうすると私のQOLも考えるときなのか?

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