誰にとってのQOL?

備忘録的に

QOL(生活の質)という言葉

病気が進行してくると必ず出てくる言葉

本人にとってのそれを維持するために

周囲のそれが保たれなくなる危険

全てを維持するにはどうすれば良いのか?

ハード的なこと(モノやヒト)は頼めても

ソフト的なこと(心のケア)は?

介護を依頼すること

された側の心身が疲弊する怖さ

それぞれのQOLを保つにはどうしたらよいのか

妥協点をさぐるしかないのか

それはどこか

いまこんなことを悶々と考え続けています

とりあえず舵取りの私が倒れないように

そうすると私のQOLも考えるときなのか?

舌がんを知ってほしい

堀ちえみさんの舌がんの報道を見て

既に書いているように、私の弟は、舌がんステージ4C。

これを読む限り、進行状況も似ている。
芸能人が罹ったことで急激に世に知られるようになったことに、複雑な心境の1人である。
私自身も弟が発症するまで言葉しか知らなかったのだから何も言えない。

弟も口内炎の悪化からの判明だったが、発見は早かったのかもしれない。当初はステージ1or2で舌を再生するほど切っていない。ただその後首リンパ転移、抗がん剤投与したものの全身転移と進んだので、結果的には現在ステージ4Cなのだが…。

弟の最初の手術から1年5ヶ月。喋りにくさや嚥下障害は少なからず続いている。背骨は砕けている箇所もある。稀だからこそ本人も家族も得られる情報が限られる。

これを機に、この癌について皆が知ってくれたら少しは救われるのだろうか。

一般病棟に移り…

2/18月曜の父の緊急手術(硬膜下血腫)から3日。
2/21木曜に一般病棟に移ったと連絡がありました。

まだ移動は車椅子のようです。

今日時点でまだ退院は決まっていません。
明日MRIを撮って経過をみるようです。

入院によるある程度の筋力低下は否めないと思います。
せめて(移動用補助具を使っても)トイレ移動程度できるようになって退院できると有難いのですが…。

職場にも携帯持ち込み、弟には職場の番号も伝えておきましたが、どうにか呼び出しなく1週間が経ちました。
このまま落ち着いてくれることを願うばかりです。

硬膜下血腫とその後の生活

父の症状が、慢性硬膜下血腫(http://twmu-mcens.jp/case06.html)と確定して1日。

まだEICUには居ますが、どうにか呼び出される事もなく、手術から24時間が過ぎました。

いざ記事↑を読んでみると、家族から聞いていた話と一致します。
麻痺や痴呆の症状も出るのですね。
ただ、歩行力低下は、元々ALSでも出る症状なので、鑑別はできません。
血を抜いたのは左側だけなので、それで右側も落ち着くか、もう一度手術が必要かは主治医の判断を待つしかありません。

入院中に、足腰の力が更に低下するのは明らかだと思われます。

退院後の生活・介護のあり方を相談すべく、院内のソーシャルワーカー(SW)さんとも話してきました。実際には退院時の体調がまだ読めないの厳しいですが、同居家族が皆疾患を持っていて介護ができないので、どこまで介護保険を使うのか?施設に入れるのか?施設に入れるのが可能なのか?場所や費用は?などなど、難題山積です。
幸い、今朝話したケアマネさんがから、大学病院SWに話しを落としてくださっさっていました。ありがたいことです

変わる風景

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昨晩、父の搬送先の大学病院へ行き、今日も動けるように、実家に泊まりました。

この1年で2度目の実家泊まり。
前回は弟の緊急手術で大学病院に23時まで居たので泊まりました。

前回は朝の景色の記憶がないが、改めて見ると、新しい家、建て直した家ばかりで、私の知っていた景色とは程遠い。‬

まあ実家出てから25年経てば景色も変わるか…。
そもそも今の家すら住んだ感覚がありません。
建て直したときには、私は寮生活していたもので。
おかげで実家なのに勝手がわからない。。

呼び出しなければ、午後の面会まで、実家の家事か買物か掃除か…フォローになりそうです。

父の緊急搬送

今日午後、父が緊急搬送されました。
硬膜下血腫の診断で、緊急手術。

脳全体に出血していたようですが、右手に麻痺が出ていたので、左側だけ100cc抜いたそうです。

急遽、夜に、父の搬送先である北里大学病院へ行き、今日は同じ相模原市内の実家泊まりです。
いまEICUに入っているので、明日もう一度様子見てから自宅に戻ります。

病院に着いた時には手術終わっていましたが、そのせいか、一見落ち着いていました。
ただ、話す内容の意味が不明なところもあり、痴呆のような症状もあり。
暫く様子見という感じです。
不思議だったのが、握力のないはずの父が、私が着いて手を握ったら、ずっと手を握り返していたことです。こんなに力あったかな?というぐらい。しかも、離さないのです。何か凄く複雑な心境でした。

ALSで足と手の力が殆ど入らなくなり、バランスを崩して階段から落ちて頭打ったり、トイレに行ったと思ったら転んだり…があったそうです。
弟が癌転移の背骨手術の退院後、3週間、私、実家に行っていませんでした。
その間に進行したのかはよくわかりません。

土日から様子が変と、今朝弟から電話があり、でも、三男の小学校最後の授業参観懇談会があり動けず、弟にアドバイスだけしていました。LINEによると、私が小学校にいる間に搬送。その後、私も明日には実家に行かねばと、送迎のある次男の手配をしていたら、弟から診断結果と手術の話があり、急遽、夜のうちに移動となりました。

入院1週間の予定とのことですが、まじめに、ヘルプ体制や、介護施設を考える時が来たようです。

1月の疲労蓄積の謎は

12月末から、私の実家、および弟が入院する北里大学病院のある相模原市へ行く機会が週1-2ペースになり、今は車移動しています。

ココにも書きましたが、1/10木曜に弟の手術がありました。それ以降、心身疲労が抜けない日々が続いています。
最初は車移動が理由(私は運転が得意ではなく必要に迫られて運転しているところがあります)かと思っていたのですが…。

どうやら、父・母・弟それぞれの症状の進行を目の当たりにする機会が増えたことが理由のようです。
月2回ぐらいでも会うたびに「また進んだなぁ…」と感じていたものを、週1.2回ペースになっても毎回感じますからね。こればかりは難しいですね。

私なりに情報収集し、勉強し、周囲からは様々な情報を提供していただき、話を聞いてもらっています。
夫や子供達や友人、福祉スタッフには日々感謝です。

癌転移とQOLと

弟の癌治療がひと段落し、9月に退院してから、暫くこの件を書いていなかった事に気づいたので、改めて書いてみようと思います。

退院1か月後の検査で、癌再転移の可能性があり、PET-CTを行いました。
その結果を聞くため、10月末の外来で家族も呼ばれまして、10か所転移していることがわかりました。
最初は3か所と聞いていただけに、PTE-CTの結果を聞いた時は、正直言葉がなかったです。くしゃみの後の如くあちらこちらに飛んでいました。

ここまで数があると、根絶治療はできません。
他の抗がん剤治療を行うことに加え、大きくなったり痛みが出た場合に対処療法するしかできないことになります。

主治医から、次の治療方法について複数選択肢は提示していただきましたが、それまでの治療との兼ね合いもあり、2週後からオプジーボを行うことになりました。

私は、今回のノーベル賞受賞で初めて聞いた「オプジーボ」という言葉。
癌治療に使われることもこの時初めて知りました。
その治療薬を知って早々に関わることになるとは想像もしていませんでした。

そしてオプジーボの投与(2週に1度の点滴)が始まり、2か月で1ターム、その後評価となるのですが、その終了を待たずして、腰が痛くて動けなくなり、12月半ばに緊急入院してしまいました。

腰椎に転移していたのですが、それが悪さして、骨が折れていたのです。

10月末の説明の際、腰骨の転移はわかっており、将来的にコルセット等で腰を保護する必要性は聞いていたのですが、最初の症状が腰に出たことは想定外でした。

入院後1週間程度様子を見て、痛み止めでは副作用が強すぎて眠り続けてしまうとのことで、2週後、体内から首にかけて細いカテーテルを入れ、体内に麻酔を入れ続ける措置が取られました。

ちょうどその直後、腰に2か所目の骨折が判明。(正確には第9胸椎と第1腰椎。)
そのため、ベッドから動くことが禁止となり、年末年始も病院、年明け早々の8日に術前説明、10日に手術となりました。崩れた背骨の上下2か所ずつボルトを入れてブリッジし、骨折というよりも砕けたに近い骨をカバーする処置を2か所行われました。

手術はブリッジ1か所につき1時間、前後処置合わせると合計4時間の予定で、4時間半で終わりました。予定通りの手術が行えたということです。

ただし、直前の検査で、腰骨にもう1か所(第3腰椎)癌の転移が見つかりました。そこは本当の初期なのでまずは放射線治療を行うそうです。

今回の手術に対する治療は、10日から2週間で終わるそうですが、放射線治療が加わる上に、オプジーボの評価ができていないこともあり、実際にはいつ退院できるのか読めないところもあります。

QOLを考えると、起き上がれるようになることは重要なことだと思います。腰が落ち着かなければ常にストレッチャーでの移動しかできず、車椅子すら使えませんからね。病院から出ることは不可能です。

10月末の時点で、手術をすると免疫力が低下し、癌細胞が活発化する懸念があるため、対処療法として必要な時だけ行うという話を聞いていました。でもQOLを考えれば、背骨の手術は必要であると思えますし、癌の状況とQOLの問題は、これから生きている間の永遠の課題なのかもしれません。難しいです。

最終的には、弟本人が何を望むか、を一番に考えることなのでしょう。

1/7平常運転開始

話が前後しましたが、2019年になり、家族全員やっと平常運転となりました。

長男だけは1/4が仕事始め、夫と次男と三男は1/7からのスタートでした。
当然ながら、私のスタート(送迎開始)も1/7です。
私の場合、仕事1つ休職にしたので、仕事始めは1/12です。

初日早々、予定変更、1/8と1/10の次男の迎え調整が必要になり、ドタバタしていました。
幸いどうにかなりそうですが、新年早々綱渡り生活です。

私は、短時間なりに仕事が当たり前な生活をしていたので、1/1から1週間も仕事休んだら何故か違和感があります。慣れは怖いです。今は仕事減らした分、休める時に休んで、動く時にしっかり動けるように…です。

姪っ子誕生‼︎(10月の実家フォロー1回め)

気づいたら1週間書いていませんでした。
色々ありすぎて、書く間も無く、時間だけが過ぎていたような…。

この3連休中に「10月の実家フォロー1回め」ということで実家に行ったので、ちょっとまとめて。

9/22土曜更新のブログ『9月の実家フォロー1回め』に書きましたが、、、

舌癌のリンパ転移で4ヶ月入院していた弟は、9/6木曜に退院し、10月いっぱい自宅療養ということで実家に居ます。食事はほぼ問題ないようです。いまだに水分摂取は難しいようです。
でも、先日実家に行った際は出かけていて会えませんでした。
出かけられる程度に体調も戻ってきたのかな?と良い方に解釈しています。

ALSと白内障併発中の父は、会う度に手の力が落ちています。指を丸めて手の甲で支えるのがやっとなように見えます。身体が疲れやすいようで、動かない→低下の悪循環が心配です。ALSの進行は個人差があるので何も言えませんが、どうにか現状維持目指して欲しいところです。寝室が2階なのですが、これもどうしたものか…。今のところどうにか移動しているようですが、必要最低限にしか2階に行かないそうで、寝室を1階に移動した方が良いのではないかと真剣に思うところです。

そして、夫は10/1月曜から仕事復帰しました。
戻った途端、朝7時から会議、朝8時から会議…という感じで、早く出社しています。
会議相手がサンノゼ(アメリカ西海岸・時差16時間)なので仕方ないのはわかりつつ。
本人は基本的に元気です。
ただ、退院前に食事メニューのアドバイスがあったものの、職場の食堂で減塩メニューがあるはずもなく、試行錯誤中です。

そしてそしてそして…
今回最大のイベントは、9/27木曜に姪っ子が誕生したことです‼︎
私の妹家族に女の子が生まれました。
妹の年齢やこれまでのことを思うと、母体含め無事産まれてくれたことに、本当にホッとしています。
産院を退院してから実家にいるので、今回は赤ちゃんに会うこと、無事大仕事を終えた妹に会うことが最大の目的でもありました。少しですが妹と2人きりで話せて良かったです。母体はナイーブですからね。

超久々に赤ちゃんを抱っこさせてもらいましたが、首が座っていないとはいえ、意外とすんなりできた上、すごくキョロキョロしていました。夫は初の女の子抱っこにメロメロで笑、一緒に行った三男は赤ちゃん抱っこ自体が初めてなので流石に首は支えました。でも、自分の妹!とばかりに喜んでいました。

我家が650g生まれと3650g生まれなので、標準体重2800g台の姪っ子が小さく見えてしまう怖さ‼︎

我家の末っ子も、これで少しはお兄さんになってくれればいいなぁ…と(^^)

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