夫の手術から5年経過

夫の透析に関する一番最初の手術から5年経ちました。
5年前の2014年1月29日(水)。
この時は、本人初の全身麻酔で、術後が辛そうでしたね…。

この時は、まだいたって元気だった私の両親が、飯田橋まで来てくれました。
元々早く待ち合わせをしていたのもあるのですが、院内の食堂ながら、両親から「とにかく食べないと(私の)身体が保てない!」と散々言われ、腰を据えて食べることすらままならない生活をしていた私は、久々にゆっくりと、和定食のようなものを食べた記憶があります。

まあ、区役所・夫の職場・病院と書類を持って走り回った記憶ばかり。
子供達のやりくりをどうするか悩んだ記憶ばかり。
自身の体調管理なんて言っていられなかったですね。
食の記憶は、この定食以外、記憶がないのです。1日1食だったであろうことは想像できますが…。

当時に比べたら、今の私は何があっても1日1食以上食べているし、水分も摂っているし、胃薬必需でもなくなった。
それを思えば、今は、状況に慣れたのか、流せるようになったのか、子供達が成長したのか、単にまだ平和なのか?

当時から5年経ち、周囲に見守ってくださる方が増えたのが一番の違いかな?感謝!

1.17から25年と5年と

阪神淡路大震災が起きてから、1/17で25年が経ちました。
同じ職場の方が伊丹に出張中だったり、少なからず影響はあったものの、その当時は関西に住む友人知人が数名いた程度だったこともあり、正直、あまり実感がありませんでした。

逆に今の方が、身内や友人に震災経験者が居るので、実感する程です。

東日本大震災の時のように、私の住む横浜でも揺れたり、その後の生活に影響があれば(計画停電や物資の問題など)記憶も鮮明なのかもしれませんが、難しいですね。

これは偶然なのですが、5年前の同じ日、夫が尿毒症で最初に倒れ緊急透析になりました。
あの騒動から5年、早いものです。
あの時は、子供達が中2と小1。
夫から連絡があっても、大学病院が三鷹で、飛んで行けなかったあの日のこと。
頭が真っ白になったことは未だにハッキリ覚えています。
私の代わりに、大学病院近くに住む私の妹に行ってもらったんだよね。

ダブル1.17では、忘れたくても忘れないです。

1/7平常運転開始

話が前後しましたが、2019年になり、家族全員やっと平常運転となりました。

長男だけは1/4が仕事始め、夫と次男と三男は1/7からのスタートでした。
当然ながら、私のスタート(送迎開始)も1/7です。
私の場合、仕事1つ休職にしたので、仕事始めは1/12です。

初日早々、予定変更、1/8と1/10の次男の迎え調整が必要になり、ドタバタしていました。
幸いどうにかなりそうですが、新年早々綱渡り生活です。

私は、短時間なりに仕事が当たり前な生活をしていたので、1/1から1週間も仕事休んだら何故か違和感があります。慣れは怖いです。今は仕事減らした分、休める時に休んで、動く時にしっかり動けるように…です。

記念日だらけの12月

今日はクリスマスイブ。

我家的には昨日がクリスマスで、今日は普通の休日でもあり、私は夕方から仕事でした。

さて、12月は夫と私にとって、記念日続きである事に改めて気づきました。

初めて出会ったのが1993年12/13月曜→早くも25年!
付き合い始めたのが1995年12/24日曜→早くも23年!
結婚式・入籍したのが1996年12/1日曜→早くも22年!

なんだか他人事です(・・;)
初めて会った時、25年後にこうなっているとは想像もつかなかったなぁ。へへ。
今日はクリスマスイブだからいいよね(^^)

22nd anniversary!

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今日は「結婚記念日」。
22年経ちました。
早いものです。

この1年、家族全員、色々有り過ぎました。
一言で言い表せない喜怒哀楽?でした。
更には、現在、私の実家まで大騒ぎです。
本来ならば毎日顔出さないと…な状況ですね。
無理なので行きませんが。

今年は土曜日になってしまいました。
夫は透析で大学病院、私も土曜の仕事休めず。
代わりに?昨日11/30に仕事休み、夫婦でドライブしてきました。
半年ぶりに箱根方面へ。

私が前述のコンサート後から体調を崩し、まだ本調子ではないのもあり、ゆっくり過ごしました。
4年前の経験があるからか、「2人で一緒に過ごせる」だけで幸せです。

また1年、時に共有し、時に個々で。
2人、そして家族にとって充実した時間を送りたいと思います。

我家なりの平常へ向けて…

夫が退院してから1週間が経ちました。

海外出張と緊急入院、中2日も通院か仕事、実質4週半不在だった日々から早1週間。

ようやく我家なりに平常に戻りつつあるように感じます。

夫自身は1週間自宅療養…兼、実質上の夏休みなのかもしれません。
体調は基本的に問題ないようです。
体力は…家にいる分にはわかりません。長時間勤務が再開するまではゆっくりして欲しいな、気ままに過ごして欲しいな、と思っていますし、そう過ごしているようにみえます。7月からずっと「休みなし」でしたからね。
今は、家で料理したりのんびりしたり、フラッと出かけたり、いわゆる「彼にとっての休日」を過ごしています。

当然、私も休みなしでした。特に入院してからは、仕事か面会かの日々。
海外出張中は、精神的負荷は大きいものの、面会が無い分時間的には楽だったのではないか?と思ってしまいました。大学病院まで移動だけで2.5-3時間かかるのが大きいのかと思います。
夫が退院し、毎日顔を見て話せること、家事分業含め、心身共に私が一番休息しているかもしれません。
次男の送迎や仕事、PTAのことなど、いつも通りな毎日です。(それでも毎日充分忙しいです…。)
今週は、土曜や祭日に2倍働き、平日に2日フリーな日が取れたのが幸いだったのかもしれません。その分、私も4週半できなかったことができましたから。

子供達は…三者三様です。
ただ、父親がいるのといないのでは、やはり少なからず異なります。
父親がいるから、怖いというか威圧感みたいなものを感じて静かなところもあれば、甘える姿もあります。見るからに甘える年頃ではありませんが、子供達の様子を見て話してみるとわかります。本人達は自覚ないようですが…。

やはり、父親不在の間、長男・次男・三男なりに、頑張っていたかなと。
仕事か面会で不在な私の代わりに、家事手伝い始め、自分達のことは自分達で行い。
無意識に倍増していたことが、軽減されつつあります。
少しの背伸び程度に落ち着いてきたかな?

障がい者が3人いる我家の普通は、他の家庭とは少なからず異なるけれど、それでも、「我家なりの平常」が戻りつつあるのかな、と思っているこの頃です。

さて、これから次男を施設に送ってきます!

今日退院です

3週間入院した夫が、今日午後、退院の運びになりました。

急変も、緊急搬送も、救急車搬送後の運転も、過去のような、PDSTのような。

新横浜往復と三鷹往復、最後は仕事。
今日1日頑張ります。
ご飯食べる時間と作る時間はどこへ?

追伸)個々へ連絡すべき方へも時間とれないため公開報告で失礼します

3週間経過と退院予定

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夫の緊急搬送・入院から3週間が経ちました。早いものです。

私、毎週、仕事休みの水曜と日曜に面会に行っていたのですが、前回日曜、遂に身体が悲鳴を上げて起きることができず(正確には修学旅行の三男を見送った後早々に寝てしまってから…です)、遂に面会お休みしました。そのため、今日は1週間ぶりの面会となりました。

1週間前はカンファレンスでした。
先週の時点で、本人は既にすっかり落ち着いており、後は
・血液検査で菌がゼロになること
・今後の腹膜透析の内容見直し
でしたので、最近は、抗生剤点滴と血液透析と腹膜透析を併用しつつ、運動リハビリもしていました。

食事も1日1800kcalの割には豪華に見えますが、しっかり計算された内容を摂取しているのもあり、オーバーしていた体重も落ち着いてきたようです。
ちなみに、普段から小食気味なほどですが、それでも入院すると毎回痩せます(笑)

透析メニューの見直し含め、順調に進んでいるようで、今日になり、明後日、9/14金曜の退院と決まりました。(どうしていつもこう急に決まるかな…と思いつつ。)

それに伴い、私の面会も本日で終了です。
退院日は退院時間次第で迎えに行かれるかまだわかりませんが、行くとしても昼間なので、面会時間ラストの20時までいて帰宅するという夜移動は今日がラストです。

毎回眠い時間に運転することが多く、今回は、慣れている道をいかに使いこなすか、を考えながら運転していました。行きと帰りでは(時間的な事も含め)渋滞する箇所が異なるため道を使い分け、赤信号の長い箇所は避け、往復共ほぼほぼ平均的な時間で移動することができました。

片道25㎞。今日は行き1時間15分、帰り55分でした。
最近はEV車が増えているのか、煽られることが少なくなったような気がします。
(トラックは車に寄りますね。急いでいる車もいるようで。)

今回は、救急車搬送後に運転したり、搬送翌日は仮眠で運転したり、体力精神力勝負でした。特に、救急車出発後、新川崎の夫職場から三鷹までどの道を通ったのか、途中まで記憶がありません。後半のコース、登戸駅・多摩水道橋から狛江を抜けて仙川駅へ向かうところは覚えているのですが、そこまでの道のりが全く思い出せないのです。大きい通り3本(尻手黒川・府中街道・多摩沿線道路)のいずれかなのは確かですが、どの道をどう渡り歩くならぬ渡り走ったのかは、最後まで思い出せませんでした。

救急搬送後に運転することは極力避けたいですが、今回経験したので、次回がもしあるならばもう少し冷静に対応できるかな、と思いたいです。

画像は、今日の最高燃費と、自宅到着後の運転スコアです。

2週間経過とカンファレンス

夫の緊急搬送・入院から、2週間が経ちました。
2週間前の今頃は、救急車が先に出発し、私は自家用車で大学病院へ向かっていた頃です。
現在、気力だけでは身体が動かなくなりました。

今日は、病院スタッフ6名(医師チーム3名・研修医・病棟看護師・透析センター看護師)と夫と私の合計8名でのカンファレンスでした。急性腹膜炎の原因、治療内容、今後の治療方針、腹膜透析継続可否、半年に1度の腹膜透析の評価結果(正式な検査名称が出てこない)、継続にあたっての留意事項などなど。

原因菌はわかっても、感染時期は特定できないそうです。
海外出張中の手技方法の違いなのか、帰国後の事なのか。
切り分けが出来れば今後の対策になるかな、と思ったのですが…。
同じ菌でも、元々の体調や免疫力に寄って、症状が出るまでの時間や悪化のスピードが異なるとの事でした。難しいです。

腹膜透析は5年が目安とされています。
今回のカンファレンスで、あと半年は現状通り、腹膜透析+週1血液透析になりました。
ただ、この機会に、腹膜透析の内容を見直すことになりました。
7月から仕事内容が変わり、腹膜透析時間の確保のため食事もままならない生活になっていたこと。
腹膜透析の効果に(悪い方の)変化が出ていた事の改善。
腹膜に優しい透析の在り方。

今後1週間、治療と共に、今後の腹膜透析のbetterな内容を模索することに。

チームトップの医師や主治医の話を聞くに、今回はあくまで急性腹膜炎での入院でしたが、他の臓器への影響、透析の評価や見直しをするには良い機会だったのかも知れません。

本人は週1血液透析で大学病院へ通院していても、私が主治医と話す機会はまずないです。
そういった意味でも、腹膜透析導入から4年半経った今、今後の事も含め様々な話が出来たことは、私にとっても良い機会だったのかな、と思っています。

腹膜の回復は時間の問題なので、あとは体力の回復と、より良い腹膜透析の内容が決められたら、と思っています。

現在、様々な事が併走しており、私の心身は悲鳴状態です。
でも、あと1週間は、仕事か面会か、の日々になりそうです。
今日は、カンファレンスで力尽き、大学病院で仮眠してから帰宅しました。

緊急搬送から1週間

夫の緊急搬送・入院から、ちょうど1週間が経ちました。
ちょうど1週間前の今頃、救急救命センターに着いたところです。

時間の流れが早かったり遅かったり、変なまま今日まで来ました。

急性腹膜炎の原因菌がMRSAと確定し、手術は回避されました。
点滴が終わり、昨晩から食事が始まり、幸い、順調に回復しています。
今は、腹膜に抗菌薬を貯留・排液、洗浄を1日4回、血液透析週3回の日々です。

血液検査の結果も改善していますが、退院まではあと1-2週間と予測しています。

仕事休日を面会に充てているので、休む時がなく、私の身体との戦いです。
今日も面会に行ってきました。
夫が食べられるようになったので、今日はデイルームで一緒に夕飯をとりました。
そんな些細なことが嬉しくてたまりません。

薬が効いてきたのか、今日は1週間ぶりに2食摂れました。

こういう時に限って、実家も自宅も、他の事も動いています。
目の前のことを1つ1つ、順次こなしていきたいと思います。

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