【本】NICU命の授業…読了

以前ココに書いた、神奈川県立こども医療センターの豊島先生が書かれた『NICU命の授業』。

感情移入なり、当時を思い出しすぎて、なかなか読み進まず…やっと読み終わりました。
読み始めの頃の話は『ココ』

読み終えての感想。

①NICU卒業と同時に、NICUでは『当たり前だった』ことが、普通の世界では『当たり前で無くなった』こと。
②障害がありつつ生きる子供たちのイマを一緒に懸命に生きよう!と『現実を受容』できるようになったのは
 実は双子が二十歳になった最近かもしれないと感じたこと。
③これら含め、当時から今までの経験を改めて振り返り、ひたすら走っていた日々に改めて気づかされたこと。

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自分が住む地域には双子ちゃんは意外といたのですが、逆に、NICUで過ごした赤ちゃんは全くいませんでした。
しかも4か月も早く生まれ、(早生まれになったため)学年が上がり、かつ2人とも軽度重度なりに知的障害と自閉症がある2人。
発達障害が今ほど広く知られていなかったこともあり、こだわりやじっとするのが苦手なことが理解されない。
母の私にとって「双子を連れて外を歩くこと=謝り続けること」。
2人の程度が異なるために、特別支援学級と特別支援学校に分けて通学することになったこと。
そして2人分の送迎が必要になったこと…

書き出したら泣きだして書ききれません。

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タイトルは『NICU命の授業』ですが、私にとっては、半年お世話になったNICU生活そのもの、そして、その後今までの生活、それらを総括させていただけるような貴重な本でした。

偶然ながら、夫が一時期お世話になった大学病院と、双子がNICUでお世話になった大学病院が同じであったため、夫が入院時は(子供たちの外来フォローは終わっていたのもあり)NICUに寄り、主治医の先生と話をさせていただいていました。20年経っても、私にとって『NICU』は『スタートライン』であり『初心に返る場所』なのです。

「アチーブメントテスト」を知っている!?

神奈川県民なら誰もが知っている…他県の方でも名前だけは知っている…
…というのは既に過去の話となりつつある「アチーブメントテスト」通称「ア・テスト」

簡単に言えば、中2の終わり(3月半ば)に神奈川県で行われていた「9科目の県内一斉テスト」です。
主要5科目ならまだしも、何故9教科!!!
この結果が中3の公立入試の20%「も」占めていました。(年によっては25%でした。)元々内申点が50%を占めるため、当日の試験結果は25%~30%しか反映されないため、公立受験は「内申点とア・テスト結果でほぼ決まってしまう」という、中学生にとっては逆転の難しい時代がありました。

私は受験世代ですが、1997年に全廃されたため、我家の怪獣どもは「名前」しか知りません。

当時塾に行っていた方は、中2になると「ア・テスト」を意識した学習が始まるわけですが、当時の私は塾に通っていませんでした。しかし公立受験にかなりの影響がある…ということで、9月か10月開始で週1日曜午後だけという「ア・テスト対策講座」に通いました。部活等で日曜日しか空きのない私のために親が見つけてきてくれた記憶があります。実際、日曜午後だけなので、ピアノの発表会と重なり1回だけ途中早退した以外は全出席できました。

塾が初めて…というのもありかなり不安だったのですが、初日に偶然隣の席だった方と仲良くなり(その方はその塾に日頃から通塾している方でしたので)その仲間の方も含めて仲良くしていただき、毎週楽しく通うことができました。現在その方々とは全く連絡はとっていませんが、当時のことは今でもよく覚えています。
近隣の塾ではなかったこともあり、逆に同じ中学校の方は(1学年400名いるものの)数名しかいませんでした。しかも誰も知らず…。

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今、我家の怪獣3号が中2の9月を迎えました。
息子を見ていると、当時の自分を思い出して「ア・テストなくていいなぁ…マイペースだなぁ…」とつい思ってしまいます。

当時は学区制、かつ内申点とア・テスト結果で、ほぼ輪切りのように上位から順に受験高校が自動的に決まる現実。
ある意味安全といえばそこまでですが、逆にチャレンジさせてもらえません。
当時、私立第一志望の方が滑り止めで公立出願した場合、第一志望が合格したら公立受験ができない…という制約もありました。
そのため、最初の倍率が1.5倍ぐらいあっても、最終的に公立はほぼ全員合格するようにできていました。
良かれ悪しかれ、公立希望者には安全すぎるシステムでした。

現在のように全県学区になり、倍率が1.5倍ぐらいになり、合否にヒヤヒヤするのとどちらが良いのかわかりません。コツコツタイプと一気に追い上げるタイプの方とでも違いますからね。個人的には、中2の始めからア・テスト用の勉強に縛られ、受験受験…と追われるよりは、今の方が中学生らしくて良いのかなぁ…と思ってしまいます。
私の場合は、ア・テスト対策すら週末一気に進めたタイプなので、あまり縛られた感はありませんでしたが…。

息子が中2の9月という、中学生活前半の終わりが近づき、当時の自分と重ねて思い出したことを書いてみました。

残暑の中での活動再開…

この夏の学校は、春の長期休校の影響で、横浜市立小中学校の夏休みは2週間。
土日祭日除く平日は9日のみ。

家族もお盆前の連休8月8日から16日が夏休み状態。

この暑さとコロナ禍で、どこに出かけることもなく、正月以来ぐらいの超久々に家族5人で1度外食したのみ。

家族全員17日から活動再開。

…とはいえ、毎日最高気温が35度状態で、冷房必須な日々。
私も含め、皆、汗だくで帰宅します。

職場や施設は冷房完備ながらの換気ですが、怪獣3号の学校はどうなっているのでしょう?

コロナも怖いですが、コロナより熱中症患者の方が多いこの頃。
手洗いうがい、そして水分補給のみならず塩分補給も必須。

例年以上に大変な夏です…

亡弟の初盆

今年は亡弟の初盆です。
(1周忌過ぎましたが、7月末に亡くなったため今夏が初盆になります。)

1年ぶりのこちらの世界はどう見えているかな?
オリンピック見る予定で来たらやっていないぞ…かな?
みんなが夏でもマスクしているぞ…かな?
どちらも昨年の今頃には想像つかなかったことですね。

コロナ禍のため、一周忌に続き初盆も法要や集まりは止めました。親と姉妹が東京神奈川では難しいと判断し…。
コロナがもう少し落ち着いて「秋分の日」にお墓参りができたら…と願っています。

ウォーキング開始

私、弟の命日(一周忌)から、週1ペースでウォーキングを始めました。

ほぼ毎日5~12㎞歩く夫には到底追いつきませんが、今日は10分40秒/kmで5㎞歩きました。
私の場合、音楽も聴かず頭を空っぽにする旅です。

画像は朝7時前の景色から。矢上川沿い慶応大学矢上キャンパス裏です。(横浜市港北区と川崎市中原区の境界域。)

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8月の始まり=夏休み開始

今日で7月が終わり、明日から8月です。

以前も書きましたが、休校、緊急事態宣言、在宅勤務、不要不急の外出等、イマイチ実感がありません。

怪獣3号の中学校は8月1日から16日まで夏休みです。
例年5週間のところ、今年は2週間です。
土日祝日があるので「平日の休み」という意味では9日間のみです。

我家の夏休みは元々バラバラです。
夫は元々固定休でなく、怪獣1号の職場はお盆の頃に連休(今年は有休を足して1週間休みにするそうです)、怪獣2号の通所先はお盆数日のみ休み、私に至っては夏休みなしです。(休むとしても有休を使うしかないため。保育園全体休みは日曜祝日と12/29~1/3のみです。)

結果的には2週間といえども怪獣3号が一番夏休みが長い状況です。

新型コロナが少しでも落ち着いていれば…と思っていたのですが、最近の、緊急事態宣言時の数値より感染者数が大きすぎる状況では、正直、計画は何も立てられない状態です。

とりあえず、短いなりに、何か「いつもと違うこと」ができればいいかなぁ…と思っています。
最近流行りの「家の中にテント」用意して外出気分でも味わいますか!?

エアコン「水噴き出し対応」奮闘記(続き)

前回記載した「エアコン水吹き出し対応」のその後…

遂に業者にお願いしました!

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子供部屋のエアコン、「冷房」ならば今のところ大丈夫なのですが、相変わらず「除湿」にすると水が溜まってきて家の中に噴出してしまう…ため、再度夫と2人で点検。

①一応外に水は排出されていることを確認
ただし量は計ってないので多いか少ないかは不明。

②ドレンホースの詰まりの再確認
前回同様「掃除機」で吸い取ってみたがやはり異常なし。

前回記載した
③ドレンホースの劣化?
④フィンの結露?
⑤ドレンパンの汚れ?
⑥エアコンの傾き?

これは素人では確認しようがないので、今回はパス。
そして専門の方にお願いして見てもらいました。

やはり一番多いのが「ドレンホースの詰まり」ということで、ポンプで作業してもらいました。
エアコン3階、室外機1階という環境ですが、1階でポンプ作業しても3階のエアコンのところまでボコボコ音が聞こえました。
凄いパワーなのですね。

結果的にはこれでも解決せず。

ここで業者さんと話をしたところ

〇ドレンホースの斜め箇所に何か溜まっている?
ホースを3階から1階に引いているのですが(エアコン側にベランダがないため他のエアコンも2階3階から1階に引いている)、他のエアコン3台はホースをまっすぐ引いているのに対し、このエアコンだけは窓の都合で2か所斜めなところがある。
〇ドレンパンの汚れ(上記⑤)
これはあり得るが、分解して掃除となると、かなりの費用がかかってしまうとのこと。
(新品を買うのと変わらない可能性が高い。)
〇エアコンの寿命との兼ね合い
エアコンの寿命は一般には10年だそうですが、既に8年使用している。そのため、費用をかけて修理することと、(いま冷房では問題がないため)この夏はどうにか乗り切ってシーズンオフにちょっと寝下がったエアコン新品に変えることと、どちらが良いか?費用対効果的を考えると後者の方が良いのではないか?

これらの話から、今回は「冷房」で乗り切り、シーズンオフを待ってエアコンを新しくする方法でまとまりました。
あくまで夏が終わるまで「冷房で水吹き出し問題が起きなければ」条件付きですが…。
ただ新しくするとしても、ホースのカーブが排水に影響があるのか否か?は検討する必要がありそうです。
同じ年数使っていて、他のエアコンに比べ特に使用頻度が高いわけではなく(むしろ低い方)唯一の違いがホースのカーブがあることなので。

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とりあえず、この夏は無事エアコンが使えることを願うばかりです。

弟の逝去から1年+3日

備忘録と心の整理のために書いているこのシリーズも今日で終わる予定。

2019年7月28日。弟の急逝から1年と3日。告別式。
この日も両親の代わりに何かと多忙だった。。。
やはりこれ以上は書けないですね。まだ。

弟は中1の4月までピアノ習っていたのだが、最後の発表会に弾いた「ベニスのゴンドラの歌」、会場スタッフが何度も弾いてくれたよ。
この曲、参列できなかった怪獣3号も大好きだったんだよね、と思い出しながら聴いていた。

1つ良いことがあった。告別式は、怪獣2号も最初から最後まで、斎場まで無事参列できた。
2日めというのもあり、彼なりに雰囲気を察し、座っている時は動くどころか一言も発しなかった。
焼香等で立ち上がると「〇〇行く~」など言っていたけれど、彼を知る方々からすればその程度で済めばご愛敬レベル。
こういう時はやはり第七感が働くのだろうか?と思った程。

あとはやはり両親が更に老けて見えたこと。
両親の状況からして覚悟していたが、遺影を持って霊柩車に乗った。
ただ、そのおかげで、弟とは最期の最期まで話ができたよ。

ちょうど霊柩車で移動しているころ、怪獣3号はピアノの発表会で、本当に最期の最期、斎場に到着する直前ぐらいの時間が演奏時間だった。
怪獣3号が演奏した曲は、ダカンの「かっこう」だった。
弟を送り出すのに、ちょうどいい曲だったな。偶然だけど。

この日の朝、1人で自分のステージを全うする怪獣3号に連絡をした。
「相模原に届くように弾くから」
と返事をくれた。頼もしいと思った。これで発表会は1人でも大丈夫と確信した。私は私のステージで喪主代理を最期までしっかり努めようと思った。

今日もこれから弾いて追悼しようっと。

最後に。。。
両親の代わりに姉の私にあれもこれもそれも仕事が降って湧きまくったのは全て「弟が独身だからだ!!!」と勝手に恨んでおくか。。。

弟の逝去から1年+2日

備忘録と気持ちの整理兼ねて連日書いています。

今日は2020年7月27日。弟の急逝から1年と2日。

1年前、2019年7月27日は土曜日。通夜日。

朝から実家(相模原)へ行き、最初のイベントは、棺に入った弟を自宅から葬儀場へ送り出すことだった。
近所の方が見送りに来てくださった。
私が生まれたころに開発された住宅街なので、かなり入れ替わったといえども、ご近所にはまだまだ古くからのお知り合いも住んでいる地域。実家に行っても通常は偶然でもない限り会わない近所の方々にお会いした。20年ぶりぐらいだった方もいたと思われる。

そこから先は正直よく覚えていない。

何かドタバタしているうちに時間になり、(父が車椅子なので)介護タクシーで両親と3人で斎場へ向かった。

実家から葬儀場(JR相模原駅近く)方面へ行くのは20年以上ぶり。景色を見ていてもマンションや住宅地ばかりで、以前何があったのか思い出せないほどだった。

現地についてからは、車椅子で移動制限のかかる父に代わって、あれこれ動いていたことしか覚えていない。
葬儀場スタッフとの打ち合わせ、お坊さんへの挨拶、参列の方々への挨拶、その他確認事項諸々…。
早く行ったから、ここでも弟の顔はしっかり見ることができた

(重度知的障害+重度自閉症で状況が把握しきれず声を出してしまう)怪獣2号は途中退席したが、怪獣1号と3号は無事参列できた。
ただ両親の次に私が妹と先に焼香してしまい、怪獣1号と3号の焼香の時に2人がどうやるか悩んでいるのを見て「そうだ初めてだった!」と慌てて横に行き教えたのであった。確かに、通夜は夫+怪獣どもとは現地集合だったし、全体の流れ含め教えている時間も余裕もなかったな。
まあ最後には夫と怪獣2号も焼香できたし、怪獣2号も空気は察したようなので良かったとしましょう。

その後は、関係者集まり食事だったが、自分の子供達とはちょっとしか話せなかったな。
親戚と話ている方が長かったかな。そもそも父の病状も弟の事もほとんど知らせていなかったようだから。

親戚はもとより、会社関係者の参列数が想定外に多かった。
現役社員であり、定期的に異動があったから、顔が広いのは当然だったのかもしれない。
連絡のついた高校のお友達の方々も参列してくださった。急な事にかなり驚いたであろう。

夫と怪獣どもは自宅へ帰ったが、私はそのまま実家泊り。
同じく父の介護タクシーで両親と一緒に戻ったが、夜に日記や報告(含むネット)等書いたことは覚えているが、後は何をしていたのか記憶が確かでない。でもあまり寝た記憶もない。何かぼんやり考えていたのだろうか?

翌日が怪獣3号1人で留守番かつ発表会参加としたため、それが心配でならなかった。

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そして1年経った今日2020年7月27日は月曜日。
いつも通り、夫と怪獣1号と怪獣3号を送り出し、怪獣2号の通所で運転。
幸いなことに、仕事は休みでエレクトーンのレッスン日だった。
何も無くても仕事を休み申請したかもしれない。(仕事は夕方から夜だから。)

家事以外、ピアノとエレクトーンをひたすら弾いていた。

夜はエレクトーンのレッスンだった。
今日は弾けないだろうと思ったが、いざ行ったら、いつも以上に弾いていた。
ヤマハは弟と6年も一緒に通っていたから、いざレッスンに行くと、まあ、色々想う事は多かったなぁ。
今日も一緒に通った「ジュニア科専門コース」の頃のことばかり思い出していたっけ。

弟の逝去から1年+1日

2020年7月26日。弟の急逝から1年と1日。

自分のベッドで眠るように亡くなった弟。25日はそのままそこで1日過ごし、1年前の今日26日午前に、化粧をして、棺に入った。
妹が夜に実家に駆け付けた。

私はこの日だけ自宅に戻らせてもらった。
25日は朝から実家へ行き、27日28日と葬儀で宿泊になるので、自宅に戻れるのはこの日しかなかったのだ。

この日は怪獣3号の部活(演劇部)の大会だった。
応援のために、夜中帰宅のヘロヘロの中、区の公会堂へ行った。
終わった後、外で集合写真撮影大会となり、応援に駆け付けた先生方や保護者も集まり、撮影の嵐だった。
無事終わってホッとした。

午後に帰宅してからは、翌27日の通夜、28日の告別式のための準備。
私が27日朝出発で実家泊りになるため、怪獣どもの参列準備を全てこの日にやらなければならず。

怪獣どもが喪服なぞもっているはずもなく、怪獣3号は制服、怪獣1号2号は白ワイシャツと黒ネクタイを買った。
怪獣ども、結婚式の参列経験があるが、葬儀は初参列なので、準備をしても何か足りない気がして仕方なかった。
27日28日は怪獣どもの対応が基本旦那対応になるため、自分が入院でもするかの如く色々気になった。

とはいえ、宿泊になるため、自分の準備もある。
実家とはいえ、自分のものは一切ないため、色々持ち込み…。

演劇を見に行った、準備に追われた、それしか記憶にない。

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今日はピアノとエレクトーンを沢山弾いて追悼する予定だった。
実際は全然弾けなかった。
何故か何も手につかなかった。

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