疲労爆発?

弟が亡くなって3週間。11日(日)で実家対応が一旦ひと段落?お盆のため一旦休息し、13日(火)までは細々と予定があったので、「気づいたらうたた寝」ぐらいで済んでいたのですが、予定ゼロの14日(水)はほぼ丸1日、そして今日15日(木)も10時半頃まで爆睡していました。

昨日は、食事を作った以外、記憶がない程、私にしては珍しく夢も見ず、魘される事もなく、いわゆる「熟睡」していました。
それなのに夜も早々と寝てしまい、今日も結果的に目がきちんと覚めたのは10時半でした。

ただ、今朝後半は、前職(某ドラッグストア)と前々職(塾事務)を合わせた変な夢を見て、夢の中で頭がトンチンカンになっていました。業種が全く違うに何故混在?場所こそどこかわからないのですが、双方の実在するメンバーも登場し、目が覚めてから頭が更に混乱…。

これだけ寝続けたのも珍しいですが、おかげで、「今は」頭がすっきりしています。
…と書きながら午後昼寝していそうで怖いです…

余程心身溜まっていたのか、何なのか、自分でもわかりません。
無意識に無理していたのでしょう…と思うことにします。

来週からの仕事復帰に向けて、色々予習復習することが溜まっています。今日から開始する予定でしたが、この体調では…。
もう1日ゆっくりして明日から!と割り切った方が良さそうなイマ。。。

生きているから悩むのだ

7月25日から、時間だけが過ぎて行き、でも心の中の時間は止まったままで、気づいたら8月13日。

お盆明けから仕事復帰予定なので、理由は全く違うとはいえ、2年前と同じ状況になっている。

(2年前は心身疲労で同じく7月末からお盆まで休職、その後しばらくペースダウン復帰となった。)

ずっと何かに追われていたが、弟の件が一旦休息モードになったので、お盆明けまでは「私自身の心身状態を復活する時間」に充てる予定。

弟が亡くなって悲しいとか思い出す…という以前の問題。

やることに追われすぎて、そこから一時的に開放されて、現在「燃え尽き症候群」に近い感じかと。

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現実から離れる時間ができてしまうと「今の生活のままで良いのか?」を考えてしまう。

2年前は、職場に、プラスもマイナスも気づいて・言い合って・頼り頼られ・喧嘩もする間柄の方がいた。だから仕事はどうにか乗り切れた。
当時は仕事に関わることが大半を占めていたので、仕事が乗り切れれば、他のこともどうにか乗り切れた。

さて、今回のモヤモヤはどう乗り切るか?今日からの1週間でどこまで整理整頓できるか?何か見いだせるか?

昨年5月以降、弟が転移して再闘病生活に入ってからは、何かあると「生きているから楽しんだ~」「生きているから苦しんだ~」という某歌の歌詞のいちフレーズだけ横切る。何があっても「生きているものの試練」と捉えて乗り切ってきた。

ただ、弟が亡くなって20日弱経ち、この1年やこの20日間の経験から、「何か」がずっとひっかかっている。「何か」がずっとモヤモヤしている。
まずは1つずつ書き出すことからだろうか?

過去は変えられない、これからは変えられる。
隣の幸せを羨ましく見ていても何も始まらない。

その反面「悩める贅沢」を感じる。
「悩めるのは選択肢があるから」そして「生きているから悩むんだ~」

…今の心の備忘録…

旅立ちました(まとめ)

さて、ここまでわざと直接的な書き方は避けてきましたが…

7月25日木曜日早朝、弟が亡くなりました。
舌癌の全身転移によるものでした。

一昨年10月に舌癌ステージ2と診断され手術し、術後は落ち着いていました。

昨年5月に左首リンパへの転移が判明してからは、手術と治療の日々でした。

それでも腰回り中心に転移が広がり、今月中には起き上がれなくなるだろうと言われ、訪問診療による緩和ケアに変えた矢先の急変でした。自宅で息を引き取っていました。

約2年の闘病生活でしたが、この1年は入院や通院ばかりの日々で、最後は松葉杖でやっと歩く状態でした。

仕事も数えるほどしか通勤できず、自宅で過ごせた時間はどのぐらいあったのかなぁ?

今まで部分的には経過なり思うところを書いてきましたが、全体像はこのような状況です。

亡くなる前日夜のLINEと電話が最期となりました。

声も出しにくい状況なのに、泣きながら必死に話していました。

本格的に起き上がれなくなるのは時間の問題だな、とは感じたものの、その9時間後に息を引き取るとは思ってもみませんでした。
でも、きっと、本人の中では、何か感じるものがあったのかもしれませんね。
本人には確認できませんが。。。

この電話で伝えた私の最期の言葉も「姉ちゃんに任せておけ!」でした。

弟と妹が離れているので、真ん中といえども末っ子体質が強い弟。特にこの1年は、お願いや不安や心配事があると、ふと私に電話をしてきた弟。その都度「今は自分のことだけ考えて!あとは姉ちゃんがどうにかする!任せとけ!」といったことを言い続け、弟が「わかった、あとはお願いします!」と言って切るのがパターンでした。これで安心していたかは今となっては確認できませんね。。。

大学病院付き添い時はいつも「先生の話は姉ちゃんが全部理解してくれるから」と主治医にまで言っていました。おかげで、私の机の上には「弟の通院時に持参するファイル」があるほどです。

最期に会ったのは(訪問診療に切り替えるため)大学病院通院卒業となった7月初めでした。この日は実家への帰り道も、自宅に着いてからも、弟は久々に穏やかに話していました。この日の夜には、今までのたくさんの付き添いへの感謝を送ってきました。病院から解放された安堵感が相当大きかったのだろう…と感じていました。

27日土曜日に通夜、28日日曜日に告別式が無事終わりました。
ブログのタイトルにはその言葉は書かず、その日に感じたことだけを書こうと「備忘録」としました。
既に気づかれている通り「1日め=通夜」「2日め=告別式」でした。

弟は独身でしたので、父が喪主となりましたが、その父も難病を抱えており、弟の闘病中と同様、亡くなってから今日までも私が代わりに動くことが多々ありました。
そして、今後の手続き等も、父母の代わりに動くことが続きそうです。

さて、天国に行くにはどのぐらいの時間がかかるのでしょう?

弟は運転大好き人で目的地は勿論、途中休憩のPAやSAでも画像UPしていました。

もう目的地に着いたのかな?今頃どっかのSAかPAで休憩中かな?
もし、いま弟が居る世界にSNSがあったならば、きっと景色と車の画像をUPしているだろうな。。。

7月28日(2日め)備忘録

既に、ならぬ、とっくに昨日(7月28日/2日め)の備忘録

・喪主は2日めも忙しい
 1日めと唯一違うのは喪主の挨拶があるかどうかぐらい。
 1日めに続き2日めも確認作業が多い。
 父と母の代わりに動き回る事多々…。

・霊柩車にもランクがある
 私が遺影持ち霊柩車乗ったら左ハンドルな事に気づく。
 ランク下の方が日本車で上がると外国車になるそうな。(運転手さんの話。)
 父の話では「弟が車大好き人間だったから」霊柩車のランクを上げたらしい。
 確かに乗り心地も良かったが、最期の時間なので遺影と棺とずっと話していたからなぁ…。

・遺影が3つ?
 通常の額に入ったもの。
 仏壇等におけるL版サイズ写真立てに入ったもの。
 祭壇の一番上にあったポスターサイズのものはその用紙だけ丸めて入っていた。どこに使うんだ?

・棺は重いらしい
 自宅から棺を出した時、男性スタッフ2人+女性スタッフがちょっと手伝うぐらいで運んでいた。
 そんなもんなのか?と思っていたが、霊柩車に乗せる時は、男性沢山で運んで「重い~」と。
 中に特別重いものを入れてはいないはずだが???

・棺に入れるもの
 身体の周りを会場の生花で飾るのだが花だらけ。
 今回入れたのは「楽譜のコピー」と「車のカタログ」。
 お友達からCDをいただいたのだが入れられないのでパッケージに使われている表紙だけ入れることに。

・骨格図実物編?
 家族が火葬終了直後に立ち会うのだが、出てきたばかりの時は身体の形のまま。
 当たり前なのだが人の骨格図の状態そのもの。(もちろん骨の強さや脆さで骨全てが残るわけではない。)
 背骨を手術した際に骨に取り付けた金属が焦げて付いていた。
 燃えないから当たり前なのだが、外から見えない場所の手術跡を見た。説明で聞いていた通りなのが今更わかった。

・リクエストしておいて…♪
 BGMとしてピアノ演奏ありというのを27日に知り(27日はバイオリン演奏だった)ピアノで弾いて欲しい曲を10曲ぐらいリストにしてお願いした。
 何をしていてもイントロで曲を判断するので、リクエストした曲は(マイナーなもの以外は)弾いていただけた。
 多分葬儀という場にあった曲というのは黙っていても演奏されると思ったのでリクエストには入れなかった。
 ただリクエストしておいて何だが、本人が発表会で弾いたり、私と連弾で弾いた曲をリクエストしたので、ふと心が苦しくなる時も。
 リクエストしたのは私だよ!と自分で突っ込んでいた。
 喪主の挨拶の時に、棺に入れた「最後の発表会で弾いた曲」が流れていた…。

こんな感じかなぁ…。もう24時間経過しちゃった。
時間の経つのが早い。
2日めも「姉ちゃんに任せろ!」ということで頑張ったよ。

7月27日(1日め)備忘録

本日(7月27日/1日め)の備忘録

・玄関で家用車椅子から外用車椅子に乗り換える父を支えることができた
 ヘルパーさんのようには上手くいかないけれど、父の言葉通り動いてみたらどうにか乗り移れた。

・車椅子で30㎝程度の段差を上ることができた
 介護タクシースタッフのやり方を見よう見まねで前輪→後輪と父を乗せたまま上ることができた。

・介護タクシースタッフはどこまで車椅子を押してくれるのかを知った
 玄関に入るまでは押してくれる。だからその後の三和土と上への移動はこちらでやらなければならない。
 今日は私が対応できたけれど、父と母だけの時は一体どうやっているのだ???

・介護タクシーの大きさは様々
 父が利用している介護タクシーは車椅子2台に普通席4つという大きいものだった。車椅子1台のものしか普段見かけないので驚いた。

・棺は大きい・長い
 実家1階の部屋は庭に面していてその端が駐車スペースだから、出棺は庭側の窓からスムーズにできた。
 ただ玄関側から出すには棺が通れないと言われた。意外と長くて大きいから回らないのだ。
 家から出棺できたことは幸せなのかもしれない。

・1時間半前に集合してもやることたくさん
 スタッフと打合せ(座席確認・返礼品や食事の注文確認・お通夜告別式の流れ)
 →食事確認(休憩室で実際に用意された食事数を確認しスタッフと顔合わせ)
 →お坊さんに挨拶(顔合わせ・戒名・お布施・今後の法要の説明)
 1時間前集合な親戚やお手伝いの方々に挨拶
 喪主は1時間半前集合だが、着いてもあっという間に時間が経つ。
 集合より早めに着いたから、先に到着していた棺の弟とはゆっくり会えたのが幸い。

・当初想定を大幅に上回る方に参列いただけた
 弟が独身なので身内は少ないのだが、現役社員というのは大きい。
 しかも3年単位ぐらいで勤務地が点々とする会社だったから顔も広いらしい。
 職場関係の方だけで約150名参列いただけた。そこまでとは想定外で返礼品を追加した。
 友人関係の連絡は(弟の携帯が使えず)SNSによる個別連絡頼みだったが参列いただけてホッとした。

・親戚に会える機会
 冠婚葬祭は親戚が集まる場でもある。特に実家を出ている私にとっては、5年前の妹の結婚式以来という伯父伯母がほとんど。

・近隣の方がわからない
 私は実家を出て25年経っているので、同じ自治会班の方でも転出転入はあるし、ずっといる方でも顔の記憶が曖昧だったり。

・街が変わっている
 斎場までは自宅から車で15分ぐらいだが、そこまでの景色が実家に住んでいた頃の記憶とかなり変わっていた。
 家の建て替えはまだしも、空き地がマンションになり一戸建てになり店舗になり。不思議な感覚。

・手続きはまだまだ
 現役社員が亡くなったから当然なのだが、身内が代わりに退職手続きはじめ諸手続きをしなければならない。
 そう時間の経たないうちに、本庁や今の所属へ出向くことになる予定。
 所属長さんからできる限りの調整はしてくださると言っていただけたが、父母代わりの私の出番はまだまだ続くらしい。
 
・一見落ち着いているが?
 この1年、父の病状もあり、私は弟の手術やカンファレンスに全て付き添ったきた。
 亡くなったという事実を一見冷静に受け止めているのは、その影響だと思う。
 ただ1つ下なので幼稚園から中学まではずっと一緒、ピアノもずっと一緒に通っていたから、共通の想い出も多い。
 難しいね。。。

書いているうちに寝ていて、地震で目が覚めて書き始めたら既に28日早朝。。。
今日も「姉ちゃんに任せろ!」ということで頑張ります。

脱水?

前回、3日間寝込んだことを書きましたが、体調がイマイチ戻りません。

土曜日は仕事が休めない(レッスン4クラスあるので…)色々薬飲んで、どうにか乗り切りました。

その反動が出たのか、土曜は帰宅早々シャワー浴びて寝てしまい、日曜の今日も疲れが抜けず、買物と選挙以外ボケーっとしていました。

今は少し落ち着いてPC立ち上げたところです。

夫には「脱水ではないか?」と言われています。

元々水分摂取量が少ないのですが、土曜日は特に、レッスンの都合で、朝8時半過ぎに家を出てから20時半頃帰宅するまで、お昼休憩にお茶100~200㏄しか飲んでいないのです。隙間時間に飲めないわけではないのですが、レッスンが続いてその余裕すらなかったり、お昼休憩以外にトイレに行く暇がない…というのもあり、つい飲むのを控えてしまうのです。

実際、昨年の今頃も体調崩し、その時は貧血だと思い込み病院行って血液検査したら、貧血は全く問題ないのに「脱水気味」と言われたことを思い出しました。

確かに外に出ていると、ついコーヒーショップ行ったり、(家ではあまり食べられないので)外食したり、飲み食べすることが増えるのですが、家にいると食事の時すらほとんど飲んでいない気がします。原因はともあれ、まずは水分補給に気を付けたいと改めて思ったところです。

久々に寝込みましたが原因不明

久々に丸3日寝込みました。

火曜は疲労?風邪?と思って、何も考えず、薬はあれこれ飲んで、1日のんびり過ごしていました。

水曜は仕事なのに、朝から身体中がギシギシして怠すぎて、起きるのもやっと。
仕事が休めないのはわかっていたので、タクシーでも身体引きづってでも行くつもりでしたが、一応センターマネージャーに連絡。

代勤頼めたとの連絡があり、休ませてもらうことにしました。

総合感冒薬、鎮痛剤、胃薬(他にもあったかも?)を飲んだところ、3~4時間に1度目が覚めるものの、SNSなり何かしようとすると、いつの間にかまた寝ている事態…。目が覚める度に「何時?」と確認するものの、次の瞬間には寝ているかの如く。全く記憶がないのです。
結果的に24時間中20時間ぐらい寝ていたのではないか?と思うほど。

これだけ寝たのだから…と、今朝は一応起き、怠さも痛みも半減していたので、まあ大丈夫だろう…と思っていたのですが。

これが何かしていると、気づいたら寝落ち状態。
スマホ開いたまま、本を開いたまま。これでは昨日と変わらないではないか…と言えるほど。
昨日よりは起きていたようなのですが、それでも2時間以内には気づいたら寝ていて、目が覚めて「ここはどこ?」「今何時?」状態。

そんな状況のまま夕方まで来てしましました。

今日中に土曜のレッスンの組み立てをしなければならないのに、とてもその状況には程遠く。
何せ思考回路が停止しているのです。
(ここは備忘録的に惰性で書いているので何とか。ただいつも以上に誤字が多いです。)

土曜日のレッスン準備をしなければ!と思っているので、今日明日でレッスンの組み立てはどうにか行いますが、それがなかったら、今すぐにでも眠れそうなぐらい眠いですし(軽減されたとはいえ)怠いです。

私の身体、いったいどうなっているの?

このままだと全て放置して「何もやりたくない病」になりそうで自分が怖いです。

大学病院通院終了の意味

先週、実弟が、1年10か月お世話になった大学病院を卒業しました。
期間としては短いですが、この間、通院に入院に手術に、半分どころか2/3ぐらいの日数は病院にお世話になっていたのではないかと思われます。特にこの1年に限れば家にいた日数の方が明らかに少ない程、本当に病院漬けな日々でした。

大学病院の卒業にはいくつか意味があると思います。
①急性期を過ぎたので地域の病院へ転院する
②治療方法・内容が変わったので他病院へ転院する
③治療を終了する

弟の場合は②と③です。(癌末期による緩和ケア)
大学病院への通院自体が厳しくなり、在宅医療(訪問診療)に切り替えました。週に1回、医師と看護師さんが訪問して診察します。薬は提携している薬局から届けられるそうです。根絶的治療はできず、対処療法しかできないのですが、その効果と通院のメリットデメリットを考え、積極的治療やリハビリは当面行わないことになりました。訪問診療と言えども緩和ケアは続くので②とも言えますし、通院で行う放射線治療等の積極的治療は当面行わないという意味では③でもあります。

経過観察も終了しての卒業…であれば③が一番喜ばしいことなのかもしれません。
そういった意味では今回は複雑なところもあります。

ただし、本人が痛い身体を動かして通院すること、その治療によって得られる効果。
メリットデメリットを考えた時、本人がQOLを一番に考えて出した今回の結論なので、姉としてはこれを受け入れ、見守っていきたいと思います。

弟がここに至るまで、この1か月半、主治医・SWさん・ケアマネさんなど多くの方々にお世話になりました。
自分の心身の声を聴きながら、関係するスタッフの意見を聴きながら、家族の声を聴きながら、1日1日大切に過ごしていってもらいたいと思います。

「ガリレオシリーズ」作品一気読み

先日、ふと思い立って、東野圭吾さんの「ガリレオシリーズ」の本を一気読み(直し)しました。

6月末に久々に本を読んだ時、東野圭吾さんの「ガリレオシリーズ最新作」から「沈黙のパレード」を読みました。
それをキッカケにふと振り返って…という感じです。

今回はその前までの全8冊
「探偵ガリレオ」「予知夢」「容疑者Xの献身」「ガリレオの苦悩」「魔女の救済」「真夏の方程式」「虚像の道化師」「禁断の魔術」
です。

正確には、容疑者Xの献身はかなりの斜め読みをしたのでカウントできないかもしれません。
また、正確には「虚像の道化師」「禁断の魔術」は、文庫化される際に1冊に統合され、元々の「禁断の魔術」に収められていた「猛射つ」だけを中編から長編に加筆されたものが「禁断の魔術」として文庫デビューしています。そのため文庫本の「禁断の魔術」(「猛射つ」の長編)も別途持っていますが、こちらはまだ読み返せていません。

1週間前に「沈黙のパレード」を読み返したのは、たまたま三男との会話の中でそのタイトルが出てきたから。
今回、ふと「ガリレオシリーズを読み直そう」と思った理由は自分でもよくわからないのです。
ただ、1日半近く鉛の如く身体が重く、ちょっと復活したところで、「今日は1日予定がないので本を読む!」と思い立ち、何故かそんな1日を過ごしました。

体調が思わしくなかった割には「何かしなきゃ!」という感覚に襲われていたような気がします。
そして実際一気に読み、疲労感は増しましたが、精神面では、成し遂げた、なり、達成感的なものはありました。

今回、この本たち8冊(今回未読の文庫本含め9冊)を出す際に、本棚に「こんな本もあった!」というのがそこそこありました。
その本たちも時間見つけて読み直そうと思っています。

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6月後半から、自分の中で「何かしていないと…」という感覚が強くなっていることは自覚しています。
理由について自覚症状はありますが、言葉で表せたら備忘録的に書きたいと思います。
今は、心身のバランスに気を付けながらオンオフ上手く過ごして気持ちの整理をしていこうと思っています。

七夕☆

今日は七夕です。

七夕ぐらい綺麗な空を眺めたかったのですが、残念ながら横浜は雨が降ったり止んだりの1日でした。

願い事を書くならば『みんなが平穏に過ごせますように!』かな?

特別はことはなくていい。ただ、1日1日落ち着いた日々が過ごせれば…

最近はそんなことばかり考えています。

正確には心に留めているだけで、気づいたら時間ばかりが過ぎています。

7月も気づいたら1週間経っていました。
先週後半1.5日ほど、久々に身体中から疲れが湧き出たかの如く、身体中が鉛の如く、重く動けない時間を過ごしました。
土曜日は丸1日仕事で、今日日曜にかけて9時間近く寝て、どうにか復活してきたような感じです。

明日からの1週間は少しペースダウンできそうなので、心身取り戻したいと思っています。

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