神奈川県民なら誰もが知っている…他県の方でも名前だけは知っている…
…というのは既に過去の話となりつつある「アチーブメントテスト」通称「ア・テスト」。
簡単に言えば、中2の終わり(3月半ば)に神奈川県で行われていた「9科目の県内一斉テスト」です。
主要5科目ならまだしも、何故9教科!!!
この結果が中3の公立入試の20%「も」占めていました。(年によっては25%でした。)元々内申点が50%を占めるため、当日の試験結果は25%~30%しか反映されないため、公立受験は「内申点とア・テスト結果でほぼ決まってしまう」という、中学生にとっては逆転の難しい時代がありました。
私は受験世代ですが、1997年に全廃されたため、我家の怪獣どもは「名前」しか知りません。
当時塾に行っていた方は、中2になると「ア・テスト」を意識した学習が始まるわけですが、当時の私は塾に通っていませんでした。しかし公立受験にかなりの影響がある…ということで、9月か10月開始で週1日曜午後だけという「ア・テスト対策講座」に通いました。部活等で日曜日しか空きのない私のために親が見つけてきてくれた記憶があります。実際、日曜午後だけなので、ピアノの発表会と重なり1回だけ途中早退した以外は全出席できました。
塾が初めて…というのもありかなり不安だったのですが、初日に偶然隣の席だった方と仲良くなり(その方はその塾に日頃から通塾している方でしたので)その仲間の方も含めて仲良くしていただき、毎週楽しく通うことができました。現在その方々とは全く連絡はとっていませんが、当時のことは今でもよく覚えています。
近隣の塾ではなかったこともあり、逆に同じ中学校の方は(1学年400名いるものの)数名しかいませんでした。しかも誰も知らず…。
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今、我家の怪獣3号が中2の9月を迎えました。
息子を見ていると、当時の自分を思い出して「ア・テストなくていいなぁ…マイペースだなぁ…」とつい思ってしまいます。
当時は学区制、かつ内申点とア・テスト結果で、ほぼ輪切りのように上位から順に受験高校が自動的に決まる現実。
ある意味安全といえばそこまでですが、逆にチャレンジさせてもらえません。
当時、私立第一志望の方が滑り止めで公立出願した場合、第一志望が合格したら公立受験ができない…という制約もありました。
そのため、最初の倍率が1.5倍ぐらいあっても、最終的に公立はほぼ全員合格するようにできていました。
良かれ悪しかれ、公立希望者には安全すぎるシステムでした。
現在のように全県学区になり、倍率が1.5倍ぐらいになり、合否にヒヤヒヤするのとどちらが良いのかわかりません。コツコツタイプと一気に追い上げるタイプの方とでも違いますからね。個人的には、中2の始めからア・テスト用の勉強に縛られ、受験受験…と追われるよりは、今の方が中学生らしくて良いのかなぁ…と思ってしまいます。
私の場合は、ア・テスト対策すら週末一気に進めたタイプなので、あまり縛られた感はありませんでしたが…。
息子が中2の9月という、中学生活前半の終わりが近づき、当時の自分と重ねて思い出したことを書いてみました。
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