令和の表記に慣れない5月中ば

元号が変わってから2週間を超えました。

皆さんは「令和」に慣れましたか?

私は正直なところ慣れません。元号が変わると決まってから、西暦で表記するものも増えたように思います。

この4月に入学した怪獣3号の中学校の入学時提出書類は、西暦と和暦が混在していました。まあちょうど新元号が発表される前でしたから、仕方ないというか当然というか…

職場の書類も、西暦と和暦、どちら記入かわからないものもあります。逆に平成と書いてあるものは二重線引いて令和と直して使っています。どうしても違和感のあるものは「令和1年」と書かれたものです。「令和元年」ではないのか?と素朴な疑問です。

まあ元号が変わって、お祭りムードもありますが、2019年には変わりないので、書類だけ暫く違和感が続くのかな?と思っています。

「令和」始まる

令和元年5月1日

ついに令和初日を迎えました。

静かに厳かに始まった平成のスタートを経験し、感謝とお祝いムードで迎えた令和を経験すると、こういう改元も良いのかな…と思います。

昭和は、生まれてから勉強や遊びや音楽ばかり好き放題やってきました。
平成は、高等教育に就職に結婚に出産に育児にとにかくフル稼働してきました。
令和は、地に足を着けこれまでを振り返り様々な経験を総括していきたいですね。

昭和とは違いすぎる平成の終わり方

平成が残りわずか(これを書いている時点であと27時間)となり、テレビも連日「平成を振り返る」ようなものが続いていますね。

特に4月に入り、新元号が発表されたあたりから、カウントダウンの如くご公務の様子が度々放映されています。
これを目にする度に、80代な天皇皇后ご夫婦にとって公務が多すぎるのではないか?と益々感じるようになりました。
体力勝負な世界だなぁ…と。

今回の天皇陛下の退位は、言うならば「現役引退」で、日付も事前に決まっているので、直接面識のない私でも「お疲れさまでした」的な感覚になりますし、少なくとも報道されている範囲では、私のみならず全体としてそういう雰囲気が感じらます。
その様子を見ていると、今回のような引退方法もありなのかな、と個人的には賛成です。
事前に決まっている方が、お役所的な事も(今回のような新元号を事前発表するなど)時間的余裕がありますし、感謝を伝えたいなり一目見たいという方々もいるでしょうし、まあ突然変わるよりは心構えもできますし、少なくとも日常生活においてデメリットはないのかな、と思っています。明日は最後のお言葉があるようですし、アイドルなりスポーツ選手なりの「現役引退」「引退会見」みたいな感覚です。
私は直接お会いしたことも接点もありませんが、年齢的な事も含め、ただただ「お疲れさまでした」「ごゆっくりしてください」という感じですね。親が定年退職したときの感覚が一番近いかもしれませんね。

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体調を崩されて、いつ崩御されても不思議がないような報道の中、「亡くなる」という形で天皇が交代する状態だった昭和から平成。
私は当時学生(年齢がバレるので何年生かは秘密)で1/7は冬休み最終日。
この日は冬休み最終日で塾だったので朝早くから家を出ていて、崩御されたことは着いてから知りました。

新元号「平成」の発表はテレビで見たような記憶があります。(当時の小渕官房長官が額を掲げる図は記憶にあります。)
元号が代わることだけは明らかなので、塾帰りに(当時和暦表示でしたので)昭和最後の日の切符を買いました。昭和64年1月7日。
そして次の日、平成最初の日の切符も買いました。平成元年1月8日。元年という表示はないから01年だったのでしょうね。多分…。

※買ったことは覚えているのに、それがどこにあるかが思い出せないのです。今度真面目に探してみようかな?ちなみに今の切符等は和暦でなく西暦表示です。※

私が子供ながらに一番覚えていることは、塾に行く朝は普通だった駅構内が、天皇の崩御が流れた後に駅構内のポスター類が全て外されコンクリート壁むき出しのような超殺風景な状態になっていたことです。塾の授業が終わって最寄駅に戻ってきて「この駅のうす暗さは何???」と辺りをキョロキョロしたこと、駅は実は照明やポスターだらけなんだ!ということに気づいた瞬間でもありました。今時のような小学生でもスマホを持つ時代だったら、その駅構内の景色を速攻で撮影していたでしょうね。きっと駅が廃業でもしない限り見ない二度と見る事のない景色だと思っています。

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新元号の発表の時には「お祭りムード」になっていた日本。
平成最後の4/30、令和最初の5/1、どんな感じになるのでしょう?
日本も最近は何でもイベントになるので、年末年始のカウントダウンの如くお祝いムードになるのかな?と想像しています。
さて、どうなることやら…。

3.11から8年

東日本大震災から今日で8年が経ちました。
2011年3月11日、金曜日。

当時、子供達は、小学校5年生・養護学校小学部5年生・保育園年少さん。

過去に何度と書いているのですが、この日、
・夫は熱があって会社休み→午前中のうちに病院行ったがインフルエンザではなかった
・長男は学校で発熱しお昼で早退
・次男は養護学校高等部の卒業式だったため午前日課
・三男は保育園で地震に遭遇

うちは震度程揺れず、停電もしなかったので、長男は震災の記憶がないようです。

三男は今でもそれなりに覚えています。
私も実はここ数年で知った事なのですが、三男、ちょうど揺れた時、実は保育園のトイレに居たそうです。(保育園なので、時間的には昼寝が終わり着替えておやつ…の時間です。)
まさにトイレで座っている最中に揺れたそうで…先生が見つけてくれて慌ててトイレから脱出したそうです。

最初聞いた時には「そんなことあるの?」と思いましたが、でも、それが現実ですよね。
時間帯によっては、トイレどころかお風呂中だってあり得るわけでして。

4歳なってそこそこの年少さんの時期の事を覚えているのは、そんな特殊な時の地震だからかもしれませんね。

私は、当時、津波の映像を観すぎて、心身状態が一時的に悪くなってしまったので、今も、震災のニュースを観る時は少々気を付けています。

当時、私には東北地方に親戚友人知人がほぼいなかったため、直接的な震災被害者はいませんが、首都圏での帰宅難民には私の父も含まれ、70代前半の身体で5時間以上だったか、相当な距離を歩いたようです。(それを機に足腰が弱くなったように言っている程です。)

阪神淡路大震災もそうですが、このような大きな震災のあった日ぐらいは、家の備蓄品を確認しようと思うところです。

ニュースを避ける生活

気づいたら3月。
気づいたら1日が終わっているほど、時間が経つのが早い気がします。

昨年の今頃より平和!と自身に思い込ませて、日々過ごしているような気がします。

色々抱えた実家のことなのか、やる事満載な仕事のことなのか、身近に不幸が続いたからか、全く違う理由なのか。
気づくと横になる、無心になる、魘されて不眠、爆睡。日々わからぬ状況を送っています。

卒業式と発表会とグレードで、学校もヤマハもドタバタしている三男の前では出さないように、だけですね。

いま、ニュースをできるだけ見ないようにしています。
正確にはテレビの付けっ放しは止める、でしょうか。

朝は時間把握もあり点けてしまうのですが、病気関係の内容が流れる度に余計に苦しくなる自分がいます。世間に名の知れた方々が病気になったり亡くなったりすれば、取り扱われるのは当然なのですが、その内容(病気そのものなり経緯なり)が、偶然「今の」私の周りで起きていることと重なることが多いのかもしれません。

何でもないのに、泣くことが、涙が流れることが、増えた気がするこの頃。

私自身が平常心を保てるよう、私なりに歩んでいく方法を模索中です。

横浜に雪!

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今日2/9の横浜、最高気温2度、最低気温1度。

天気予報通り雪が降りました!

当初は明け方から夜6時ごろまで降る予報でしたが、気温が高めだったのか、低気圧が弱かったのか、予想ほどは降らず。薄っすら積もる程度でした。

今日は仕事(スクール)でしたので、昨晩は、予定通りレッスンできるか、生徒達は来ることができるか心配していたものの…
いざ今日になったら心配は全く不要。幸い交通機関や運転に影響のない程度で済みました。

子供達は雪が積もらず残念がり、親達は無事通えてホッと一息のような。

画像は仕事帰り18時ごろ撮影。
街灯で見える雪の降る様子、玄関前のプランターと自転車の雪を。

寒くて寒くて、帰宅して速攻でお風呂入りました。

今週の気温は乱高下

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これは2/4月曜のiPhoneのスクショ画像。
三寒四温ならぬ…なんて言えば良いのでしょう。
暖かい日と寒い日が極端です。

火曜からは予報と言えどもこの通りになっています。
最高気温は、月曜19度→火曜8度→水曜8度→木曜17度→金曜9度と推移。
(1度程度の誤差はあるかも。)
そして明日土曜は最高気温3度で、9時から15時に雪予報。
雨か雪かは気温次第のようです。1度違いで変わるでしょうから。

気温がこれだけ上下すると、着る物も身体にも厳しいです。
明日は仕事なので、ホントに雪になったら、移動手段に悩むところです。
積雪数センチで交通マヒしますからね。

2/1になると思い出すこと

私が幼稚園児頃の話。

当時、西日暮里駅(東京都荒川区)から徒歩10分ぐらいのところに叔父の家がありました。

ある時、駅からすぐのところにある「学校」に叔父や従兄妹と入って、校庭で遊んだことがあります。
今ならば、私立は勿論、公立でも勝手に校庭に入るなどできないと思うのですが、当時、その辺りの記憶は流石にありません。もしかしたら裏口から入ったとか、抜け道があったとか、何か裏技があったのかもしれませんが、幼稚園児がそんなことまで考えるはずもなく。

それから暫くしたある日、テレビでその「遊んだ学校」が出てきました。
毎年2月1日にニュースで流れる、「東京神奈川で中学入試が始まりました!」の話題の時。

その時、その「遊んだ学校」が「トンデモナク有名な私立中学校」であることを知りました。
男子御三家の1つだったのです。
(この時点で学校はわかるかと…。)

それに気づいた時の私の第一声、「あの学校ってそんな凄いところだったの!?」

その後、叔父も引越し、今、西日暮里に行く機会はないのですが、2月1日になる度に思い出すトピックスです。そして、何故あの時学校に入れたのか、それが未だに不思議でなりません。今では公立学校すらセキュリティーが厳しく、門が施錠されていたり色々あります。当時はそんな簡単に入れたのか、たまたまなのか、不思議でなりません。逆を言えば、とても貴重な事だったのかもしれませんね。御三家の私立中学校に行く機会はまず無いでしょう。

嵐の会見を見ながら嵐の曲を聴く

昨日1/27日曜の夕方に、嵐の活動休止のニュースが速報で流れ、その後、会見がありました。 私は昨日送別会に出ていたので会見は見れず、今日になりその内容を見ました。
(今日はハッキリ言って、どこの局でもこのニュースでしたからね。)

元々嵐の楽曲は好きで、リアルタイムでなくても、聴く機会の多いものでした。 最近ではエレクトーンソロで弾いたり、アンサンブルで弾いたり。
(エレクトーンで初めてグレード6級レベルの曲を弾いたのも、実は嵐のHappinessでした。)
また、ジャズピアノ演奏にアレンジされたCDもあり、それは本当によく聴いていました。

今日は、テレビの報道を見ながら、実はこのピアノのCDを聴いていました。

ちょうど5年前、夫が初めて尿毒症で倒れて緊急透析・入院した2014年1月期、フジテレビの月9で放送していたのが「失恋ショコラティエ」でした。松潤と石原さとみさんが主演の、松潤がパティシエ役の話です。
我家の三男が当時小1なのに、毎週「うらやましい~」と言いながら見ていました。
そして私は呆れていました(笑)。
恋愛ものを再放送を見る程楽しみにしていた事がどうかは別として、その番組のおかげで、私が大学病院の面会から帰りが遅くなっても過ごせていたと思えば、ありがたかったですし、最近、ちょうどそのことを思い出していました。
(実はこのサウンドトラックも買い、一部ピアノ楽譜が出ているので買って弾いていました。)

ちなみに、嵐がデビューした頃、桜井くんは日吉にある慶応普通部(慶応大学の付属中)に通っていました。
当時、慶応大学の生協総務部(購買部や食堂は慶応の各キャンパスにありますが、総務部は日吉キャンパスの中にあります)で仕事をしていた私は、桜井くんに会った事はありませんが、普通部にある生協のスタッフからは日頃話を聞くことがありました。2000年1月で私が退職したので、そのまま日吉で仕事していたら「大学生の桜井くんに会う機会があったかな」と思いつつ(笑)。

ちょうど1月なので、そんな桜井くんや松本くんのことを思い出していた矢先というのが、タイミングが良いのか悪いのか…。

嵐というグループについてここで何か書くことはないです。
ただ、彼らがグループ活動が休止しても、私は普通に嵐の音楽を聴き、普通に演奏しているだろうな。
それだけは変わらないです。

春のセンバツ!(高校野球)

私の母校が16年ぶりに春の選抜高校野球大会に出場することになりました

出場校が今日発表と知らず、先程SNSで知りました。

やったね!

でも、16年前の記憶がありません。。。

私自身が高校3年の春に出場したのですが、その時は、応援団の一員(吹奏楽部)として、楽器持って甲子園に行きました。その時の記憶が大きすぎて鮮明すぎて…。

あれから既に?年。
つい先日の事のように覚えています。懐かしいな。。。

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