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【両親介護の始まりその6】…施設訪問

両親の入院中とはいえ、動かなければならないのが「その後の生活場所」探し。

(父が緊急搬送される直前に)母の病院ソーシャルワーカーから老健を複数紹介いただき、
父は大学病院に搬送なので急性期が過ぎたら早急に退院しなければならないため施設候補をケアマネさんに紹介していただき、
結果として2日連続の施設訪問となりました。

まずは両親それぞれの第一希望施設へ。

母の施設は、病院カンファレンスの全員一致で(実家ではなく)私の自宅の近くになったので、幸い車で15分。
かつ場所も偶然ながら知っているところで。(リハビリ等の送迎車が我家の近所にも通っていて常に見かけていた。)
大変恵まれたことに、施設側と病院側の配慮で、こちらが入所希望出す前に既に入所審査が終わっており、私が正式申込すれば入所できる状態に!
事前にHP等は伝えていた妹と相談し、その日のうちに確定し、翌日には正式申込をしました。

翌日、父の施設へ。こちらはケアマネさんが変わらないことはじめ、諸々の環境を大きく変えることは拒否するであろう父の性格も鑑みて地元で。初回なので電車で行きましたが、実家の市内なのに、その駅、初めて降りました。環境・対応・料金その他特にマイナスになることもなかったことから、これも妹と相談して即確定し、正式申込をしました。

これで両親それぞれ退院後の居場所をなんとか確保できましたが、病院への荷物、退院後の準備、そもそも怪獣3号の高校が決まらない中、私の頭は優先順位がつかない大混乱ならぬ大渋滞です。

2022冬季オリンピック終わる

この3週間、両親の対応と怪獣3号の入試とで、気づいたら2/20(日)。

今日の閉会式をもって、2022年冬の北京オリンピックが終わりました。
…というより終わっちゃいました。

偶然LIVEで観ることができたもの、仕事帰宅後夜のニュースでハイライトを観たもの等
今回はあまりのドタバタ中で、落ち着いて観ることはできませんでした。

退会中、判定その他様々な問題も出ていましたが…
まずは、この大会が無事終わったことに安堵し、この日のために特にコロナ禍で心身整えて参加した選手の皆様やサポートメンバーの方々にお疲れ様の気持ちを届けたいです。

開会式と閉会式だけはテレビの前で観戦できました。東京に比べ、時短および簡素化されたものの、映像含む様々な技術を駆使して、良いものを観る事ができたかな…と思っています。

【両親介護の始まりその5】…父の緊急搬送

怪獣3号の公立入試が2/18(水)に終わったと思ったら…ひと休憩する間もなく2/19(木)夕方になり短期入所施設にいる父が発熱したと連絡がきました。夕方だったので、その日一晩は施設で様子を診ていただけることになりましたが…

翌日になっても熱が下がらない
父は車椅子なので介護タクシー移動必須だが熱があるのにタクシー利用できない
ALSなので普通の病院で診てもらえるの

などなどなどなど…

どうしたものか散々悩んだ挙句、最終的に、ALSを診てもらっている(かかりつけ医である)北里大学病院で受け入れ許可がおり、入所先から1人救急車で北里大学病院に搬送されました。それを受け、私と妹も、急遽、北里大学病院へ向かいました。

日頃お世話になっている脳神経内科のスタッフ陣が対応するということで、内科の処置室で待ち、最低限の検査結果が出るまで到着後から1時間、救急車到着からは2時間近くかかりました。

結果は私1人で聞きましたが、検査結果から複数の病名が付く事態に。
正直、3週間施設生活でしたので、何故、体調が急に悪化したのか、検査結果が(以前の通院時に比べ)一気に悪くなったのか不明。

とはいえ、とにかく複数の原因を治すべく、2~3週間の入院が確定。
基本的には意識もあり、話もでき、一見元気そうなのですけどねぇ…

父の病棟で、入院手続き書類をたくさん書くことになったのですが…(母の時より多いような?)
既に入院受付終了が迫っていたので、まずは最低限の書類を書いて、入院手続き。
それから病棟に戻って続きの書類の山を書き始め。
その間に担当となる脳神経内科の先生がいらしてくださり、その頃には妹も到着したので、外来で聞いた話をもう一度妹に向けてもお願いしたり、書類を分担して書き、父のものは全てレンタルで対応することにしました。
(1週間に何度も行けないので、母も衣類等はレンタルにしましたが、別々の病院に紙おむつ等をそれぞれ1週間分届けるとなると相当の量になるため、父の消耗品は全て実費でお願いすることに。)

両親の入院した病院自体は、それぞれ実家から3kmぐらいなのですが、方向が逆…
実家・病院・病院を回るとなると、車でないと不便な位置関係。

どちらもコロナ禍で面会はできないのですが、病棟やSWから連絡は来ますし、特に父の方はまだ急性期なので「24時間電話が鳴るように!」と言われています。

幸か不幸か、怪獣3号の入試が終わるのを待っていたかの如く急変した父。

それぞれが入院…両方の窓口が私…我家の状態が落ち着いていてもキャパオーバーなところに、年度末による怪獣1号2号の福祉系の更新、卒業入学と入学準備の怪獣3号…もう何をどう回せばよいのか、私の頭が整理できません。もう目の前の事から1つずつ進めて行こうと思います。

しかし、父の容態を母に伝えるにも、直接話せず、電話になってしまう現実。
こういう時の面会禁止は、なかなか難しいです。

神奈川県立公立高校入試

2/15(火)から神奈川県公立高校の入試が始まりました。

15日は共通選抜筆記5教科
16日・17日が面接(受検番号によって日時が決められている)

進学重点校と言われる、旧学区トップに相当する高校では「特色検査」が行われたり、専門学科等で「実技」が行われる高校もある。
その場合は、それらが16日になり、17日・18日が面接になる模様。

怪獣3号は、15日筆記、16日午後面接で、無事終了しました。
これをもって高校受験も全て終了です。

今回は共通選抜試験の出題傾向が「かなり」変わったらしく、SNS等ではかなりな投稿数がありました。
全体に難化したようで、特に数学に関しては「撃沈」という言葉が出回るほど。
私は問題をみていないのでコメントできないのですが、夫の話では、図形問題で「ひらめく(気づく)がどうかがポイント」だと。
私立難関校受験対策をしてきた方は解けても、一般的な対策の方には難しかった…という声も聞きました。

本人は自己採点していないので(正確にはしたところで合否は変わらない…というところでしょう)わかりませんが、数学以外はそれなりに解けたようです。
1日め、清々しく帰宅したので、やり切ったのならそれで良いでしょう。。。

(神奈川の公立高校は、数年前から合否に関わらず、発表後に本人の答案用紙のコピーと面接の点数が返却されるそうです。)

帰宅したら早々次の日の面接の確認をし、面接も特に問題なく終わったようです。
学校で面接練習を他の方の倍はやっていたので、自信はついていたと思われます。

何はともあれ入試終了。
あとは3/1(火)の発表を待つだけです。

怪獣3号、お疲れさま!!!
最後の差後まで自力でよく頑張りました!!!

私立高校合格!

怪獣3号の受験第一弾、私立高校(併願/滑り止め)、無事合格しました。

神奈川県でいう一般受験(併願)の場合、調査書(成績・出欠日数・特別活動等)で基本保障されているとはいえ、やはり合格通知書を見てやっとホッとするというか…。
(学校によっては当日試験で最低〇点以上必要など条件の加わるところもあります。)

受験発表方法もコロナ禍+時代の流れ…でホントに変わりましたね。

怪獣3号の受験校は、Web発表で、受験番号とパスワード入力すると合否が表示される…
そして画面上のボタンをクリックすると「合格通知書」(PDF)が表示される…
それをプリントする(→手にするにはそれしかない!)。
他のボタンをクリックすると合格後の流れをざっくり書いたものが表示される。

※正式な入学手続きのしおりのようなもの、記入して提出する書類等は後日郵送されました。

これで、無事4月から高校生になることは決まりました。

第一志望は公立高校なので、あと一息!

怪獣3号よ、自分を信じてラストスパート!!!

怪獣1号2号22歳になる

本日2月8日は、怪獣1号2号の誕生日。

22歳になりました!

超低出生体重児、650g・30㎝で生まれ、生死を彷徨った2人も、あれから遂に22年!

毎年複雑な感情が湧き出てきます。

2人とも、高校・特別支援学校高等部を卒業して4年め。
やっと落ち着いてきたような気がします。

怪獣1号は福祉就労ですが、今年になり、最近は新しい仕事先へ行くことが増え、そこの作業着を着て仕事をしています。
今までは別の仕事先へ行くことはあっても私服のままでしたので、作業着上下を持ち帰ってくると、不思議な感じがします。

怪獣2号は、生活介護施設になかなかなじめず、一旦週4まで増えた通所が週2に戻ってしまっていましたが、昨年10月から新しい施設にも通うようになり(週2+週3の2か所平行通所=平日週5通所)、そのパターンにもやっと慣れてきました。新しいところは慣れるまで3か月ぐらいかかるかと思いきや、1か月かからずすっかり慣れました。2か所のスタート時間や送迎方法の都合で、家の出発時間が1時間近く異なるのですが、これも、年明けぐらいにはすっかり慣れてきて、月火はゆっくりと…水木金は早めに…と本人なりにわかっているようです。
時計は数字としては読めますが、それで判断しているのか、テレビの番組で判断しているのか?

そして怪獣2号は最近、自分で薬を飲むこと、食後にうがいをすること、手を洗って消毒することがセットで動けるようになりました。
(薬の準備は事前に必要ですが)本人が忘れていても、私のみならず、怪獣1号や3号の声掛けフォローでも動けるように。
いつの間にか私の真似をして声掛けをしてくれるようになった兄弟。こればかりは怪獣1号と3号に感謝感激です。

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生まれた頃は、1日1日生きることが必死で、20代の2人の様子など全く考えられませんでしたが、
20代になっても成長なり順応する力は身に着いていくのだなぁ…と感心することばかりのこの頃です。

障害があっても『彼らなりのペースで』成長し、吸収し、経験して欲しい…と願うばかりです。

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誕生日会は怪獣3号の入試終了までお預けなので、今回はイベントは何もしていません。

私立高校の受験方法変更

怪獣3号は公立中学校の3年生なので、高校受験直前となりました。

東京神奈川の推薦入試は1月下旬から始まっていますが、多くの方が受ける試験
・私立一般入試・オープン入試 2/10~
・神奈川県公立高校入試 2/15~

となります。

怪獣3号は、第一希望が公立高校なので、公立入試と、私立一般入試(併願)の2つです。

私立一般入試は、中学校の調査書+国数英の3科目試験予定でした。

ところが、直前になり、新型コロナの急激な拡大を考慮し、入試方法が変更。
一般入試の場合のみ、当日の試験の代わりに、記述文提出となりました。(中学生なので論文?作文?)

締切まで丸2日、実質1日半しかなかったので、過去問に取り組む時間を急遽ストップし、文章作成となりました。
本人、構想がまとまらない…何を主題とするか暫く悩みつつ、紙にメモを色々書き出しつつ、いざ書き出したら一気に書いていました。
(方向性が決まれば一気に書くのが怪獣3号らしいのですが…)

1日置いてから、読み直し、多少修正し、完成。
それをメールで高校へ提出。
その日のうちに、高校側から無事受理した旨、返信がありました。

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コロナ禍の影響で、昨年の入試も、様々な変更がありました。
公立高校の出願は中学校からまとめて高校へ郵送になり、私立高校もインターネット出願(Web出願)や郵送が主流になりました。
入試そのものも、私立の主戦入試や一般入試(併願)では、試験はあっても面接が無くなったり、書類選考のみという学校もありました。

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今回、公立高校受験は、共通テストと同様、コロナ禍での受験のため、当日までの体調管理は勿論、濃厚接触者の扱いや再受験の方法等、様々な決まりが増え、再受験の機会も増えました。

出願は1月中に終わりましたが、当日まで落ち着かない日が続きそうです。

【両親介護の始まりその4】…カンファレンスと1分の重み

2/4(金)、母の入院先病棟でカンファレンスがありました。

ソーシャルワーカー・病棟看護師・ケアマネさん・私の4名。
(妹は姪っ子預けるのが厳しく欠席。)

母の入院開始からの様子・変化、医師看護師の見解、ソーシャルワーカーさんの意向、ケアマネさんから現実を踏まえての話などなど。

そこに書面での妹の意向と、私の意向も伝え…
1時間半近く様々な話をしました。

入院して5日めにして、抗生物質は点滴から内服に替わり、腎盂腎炎だけをみれば回復しているようです。
元々足腰が弱り切り、2度背中を圧迫骨折している母にとって、この入院での足腰ダメージは相当大きいようです。
基本ベッド寝たきり、食事時だけ座位、車椅子にやっと乗ってみた…というレベルです。

当初心配された認知症は一過性なり部分的なものとみられること、
身体はリハビリすればもう少し動くようになるのではないか、

という話があり、母は調整後、老健(老人健康保険施設)へ行き、生活面のリハビリをすることになりました。
その場では母と話ができなかったものの、本人も希望も聞くことができ、その方向で話を進めることが確定しました。
空きを探すのは勿論、診断書や家族面談等あるとのことで、実際に移動するのは数週間から1か月先になりそうです。

その後、入院後初めて、母と1分だけ面会させてもらえました。

母は私の顔を見た途端に泣き出してしまい。話どころではありませんでした。
入院時のぐったりしきった顔よりは回復していますが、まだまだ自宅に居たころには遠く感じ。
でも、直接顔を見るだけで、何分も話す言葉より沢山のものを感じるとることができた気がします。
(これは入院に限らず…ですね。)

父のALSに弟の癌闘病にずっと付き添ってきた母なので、今は自分の心身だけ考えて、じっくりゆっくり治してもらいたいものです。

【両親介護の始まりその3】…電話の嵐と長期戦

元々、両親双方が双方の対応ができないための短期入所でしたので、父の短期入所先・母の短期入所先、両方とも第一連絡先や利用者側身元引受人?家族代表者?は私になっていました。
(まあ姉妹ですから姉がそうなるのは必然といいますか…亡弟が実家住まいだったら当然弟にしたと思われますが。)

そこに加わった母の緊急入院。

当然、書類に書く連絡先や家族代表や費用面の責任者等、全て私になりました。
(第二連絡先は当然妹です。)

そんな状況のため、私のところには、病院・母の居た施設・父の施設・ケアマネさん・更には母の病院のソーシャルワーカー(SW)さんからも直々連絡が来る事態に。

遂に携帯が鳴っていないのに、耳鳴りの如く携帯が鳴っているような感覚に。

母が腎盂腎炎に加え、元々の身体の痛み(腰や股関節のあたり全般)があるため病院では寝たきり生活に。
コロナ禍で面会もできず、毎日病棟看護師さんから状況を聞くことしかできません。
基本的に「炎症値が落ち着くまでは点滴をする」が治療方針なので、あとはバイタル的なことや本人の様子を聞くぐらいしかできません。

各所からの連絡だけで手一杯なところですが、私も自分の家庭がありますし、仕事もありますし、父からも母の状況を聞く電話がガンガン入ってきます。いや1日何回もかけられても状況は暫く変わらないのですが…?

ということで、あまりの電話の多さに、通話契約を「カケホーダイ」に変更しました。
基本的にSNS等でどうにでもなっていたので、通話時間は一番安いプランにしていたのですが、ここまで電話が多いと加算額が半端ないことになりそうです。

しかし、母の主治医からの依頼で、病院ソーシャルワーカーさんから直々電話が来るとは…
我家(両親)は余程の対応が必要だと思われている…ということですね。
搬送後、主治医と、父の状況・私家族の事情・妹家族の事情も話したので、SW対応依頼していただき有難いような恵まれているような…
でもそれだけ現状を取り巻く環境が大変…ということを改めて実感しています。

今日はどうしようもなく、昼間5時間で、自宅→買物→病院→実家→自宅と一周してきました。
実家~自宅が30km1時間半かかってしまうのが難点です。
その後、夕方から仕事に行ったらもうヘロヘロでした。

入院1週間予定でしたが、退院延びるのは確実ですし、入院で母の体力はすっかり落ちてしまい、長期戦覚悟です。

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