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【両親介護の始まりその2】…両親短期入所と母の緊急搬送2回め

1/24(土)に母が緊急搬送になった時点で「そのまま入院になるのでは?」と思われていました。
その場合、父の介護問題が発生するため、父は1/25(日)夕方から急遽、介護施設でショートステイ(短期入所)することになりました。

ところが母が搬送先から自宅に戻されてしまい、とはいえ、母も1人では何もできない状態で、さてどうしましょう?な問題が発生。

母の状況をやりとりしていたケアマネさんが家に来てくださり、母の様子をみて、急遽、母もショートステイ(短期入所)で様子を見ることになりました。家に1人で居ても自分のことすらできないのですから、当然といいますか、そうしていただけるなら、といいますか。

…ということで、急遽、1/25(日)から、両親別々の施設ながら短期入所となりました。

とはいえ、どちらも介護が必要な状況。両親とも自分の準備すら1人でできません。
妹と私で準備進めるものの、必要なものがどこにあるのかすらわかりません。
幸い父はディサービスを使っているので、その荷物や鞄があり、それに衣類を加える程度で済みました。
母は鞄がどこにあるか?から大騒ぎ。それでも姉妹でどうにかしました。いや、無理やりどうにかしてしまいました。

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2人をそれぞれ送り出し、私も妹もそれぞれの旦那さん迎えの車で帰宅したと思いきや…

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翌1/26(月)に母の施設から「母の体調が思わしくない」という連絡が。
聞く限り病院に連れて行くべき様子なので、急遽夕方17時に母の施設へ。
身体を休めていたからか、昼間に聞いた様子からは「最初は」落ち着いていたのですが、看護師さんと母と話し始めて10分程度でまた母の様子がボーっとし始め…急遽看護師さんにバイタルチェック等していただいたら、38.6度の180mmHg。

これでは車で運ぶのも危険と判断し、急遽施設に救急車を呼んでもらうことに。

そして日頃母が通院している中核病院に無理承知でお願いして搬送。(1回めとは別の病院。)
救急車内では39.2度まで上がりました。本人意識はあるのですが、とにかくボーっとしていて、何を言っているのかよくわかりません。
私は救急車同乗し、一緒に車で来ていた夫が、向かっていた妹を途中ピックアップし、病院で合流。ここで18時。

経緯や問診や事務手続きやら…
まず新型コロナとインフルエンザでないことを確認し、その後血液検査や全身CTで原因特定となりました。

結果的には腎盂腎炎で、内科病棟で抗生物質の点滴、元々罹っている科とも連携して1週間程度入院…の見込みと診断が出ました。
コロナ禍で病棟入口までしか付添できないため、内科病棟の入口まで姉妹で付添。そこまでで3時間超経過。

一旦実家に戻り、最低限必要なもの、レンタルするもの、夕方から一切口にできなかったので少々食料を買い、22時に再び病院へ。

この日はそこで解散…となりましたが、夜中のドライブならぬ、妹のおうち経由の帰宅となりました。
実家と病院は数キロなのですが、実家・妹の家・私の家が32kmの正三角形のような位置関係なので、私の夫には夜中に2時間半運転してもらうこととなり申し訳なかったのですが、姉妹では散々話ができ、3日連続の実家通いの疲労が少しは軽減しました。

結果的にコロナ禍直前に引っ越したため行けずじまいだった妹のマンションを観る事ができました…というおまけつき。

さて、母は入院、父は短期入所。
これからどうなってしまうのでしょう?

【両親介護の始まりその1】…親の緊急搬送1回めと両親介護

私の両親は、実家のある相模原市中央区で2人暮らしをしていますが…老老介護状態です。

以前にも書いていますが、父が約4年前にALSを発症し、進行が遅いので呼吸器系には問題なく、自宅で過ごしています。
その父を、母が介護している状態です。
ただ、その母も腰骨を圧迫骨折を2回するなど、ここ半年ぐらいは一気に身体が弱った感じです。

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そんな母が1/22(金)の夜(直接の原因はわからないのですが)転んで身体が起こせなくなり、身体の動かない父は何もできず、翌朝1/23(土)9時すぎ、実家に出入りしていただいている父の訪問医療スタッフ・両親のケアマネさんが対応して救急車を呼ぶ…という騒動が起きました。

父が車椅子なこともあり、誰も付き添いができず、母だけ1人救急車で搬送。
子供である、私と妹が呼び出され、搬送先の病院に駆けつける…という事態が起こりました。
搬送先自体は実家から数キロの中核病院だったのですが、何せ、私も妹も、相模原市まで1時間半はかかるという距離。

いざ病院に着いたら、母はぐったりしていましたが、幸い骨折等の問題等が一切ない!ということで、帰されてしまいました。

…といっても当然母が1人で歩ける状態ではなく…

一緒に駆けつけてくれた私の夫、合流した妹、私の3人がかりで我家の車に乗せ、とりあえず実家に戻り。

ただ足腰が痛い状態には変わらず、家の中も1人で歩けず、母の前で両手を繋ぎながら歩く事態。
そして母が大丈夫と思って1人でトイレに行ったらトイレの前でまだ転ぶという事態も。

母は介護する側なので、当然ながら父の介護もしなければなりません。

この日は、ケアマネさんの手配で、急遽ヘルパーさんに入っていただいたり、母(+駆けつけた3人)が戻るまでは、父は介護してもらえたのですが、その後は、日頃お手伝い程度の介護しかしていない私と妹で父の介護。

この日は結局、私が実家に泊り、両親2人分の介護をしました。

そもそも私自身、父の介護のやり方がわからないので、てんやわんやですし、それが2人分ですし、そもそも今の実家は私は実質上住んでいないので(結婚直前に建て直している)どこに何があるかわからないことも多く…

2人寝かせるまでで23時ぐらいになってしまい、私はそれから別途ケアマネさんからの書類チェックしたり、両親の様子(特に足腰を痛がる母)を定期的に見に行っていたので、隣の部屋にあたるリビングのソファーでうたた寝状態でした。

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そして翌日1/25(日)の朝は、
介護ベッドの電動機能使って起こし、着替えさせ、トイレ対応し、ダイニングテーブルに連れて行き、朝ごはんをセットし、薬を用意し、顔を拭く用意をして、歯磨き準備をして、歯磨きしてもらい…

が全て2人分。とにかく時間ばかりがどんどん過ぎて行く感じでして。

1人1人の着替え対応等はよかったのですが、ダイニングテーブルで一気に2人分の介護対応していると
「ここって老人ホーム?」「私はヘルパーか?」
と、なんだか不思議な感覚でした。

とはいえ、妹もかなり相当頑張って朝10時すぎに来てくれたのでここからは多少楽になりました。

【追伸】…第一弾はここまで…今後この話が連載になる予定…

私立高校受験のWeb出願

受験における「インターネット出願」「Web出願」(学校によって呼称が異なる)は以前から少しずつ増えていましたが、コロナ禍で一気に進んだようです。

昨年度から
私学はネットで出願し、自宅でプリントした受験票(のうち提出用)・必要な方は中学校の調査書等を受験先高校へ郵送
公立は中学校が取りまとめて受験先高校へ郵送

が基本となりました。

学校へ出向く必要なないので楽ですが、そもそも(特に公立高校は)高校へ提出に行っていたのだろう?
最初から郵送でいいじゃん…と今回改めて思ったものです。

そんな状況なので、我が怪獣3号も、私学は専用サイトで入力し、自宅で受験票と宛名の書かれている用紙をプリントし、指定日に中学校で調査書を受け取り、そのまま中学校からすぐの郵便局へ行き、簡易書留で郵送手続きをしてきました。

中学校から30秒のところに郵便局があるので、この郵便局には、日時は違えど、この中学校の学生の大半がお世話になったと思われます。

学年350名以上の中学校なので、まさに「大勢お世話になりありがとうございます」という感じです。

2022年始まる

2022年、平成4年がスタートしました。

本年もよろしくお願いいたします。

毎年の如く、お節料理は1日めの朝食で半分が無くなり、怪獣どもの食欲の良さに頭が痛いスタートです。

今年の一大イベントは、何といっても、中3の怪獣3号の高校受験・中学校卒業(=義務教育の修了)・高校入学です。

昨年12月に受験校は確定し、1月半ばには出願、試験は2月中旬。

そして、なんといっても、『今年も家族みんなが健康で過ごせますように!』

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