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弟の死から半年経ってもふと思う事

弟が亡くなって半年が過ぎましたが、突然ふと考える事があります。

弟が急変したとき何故救急車を呼ばなかったのか?…ということ。
ちなみにこれは単なる疑問であって、賛成反対等の話ではありません。
経過を把握していた私としては、呼ぶことのメリットデメリットは承知しているからです。

私がわかっていることは
・亡くなる前夜20時頃LINEでやりとりしたこと・電話で直接話したこと
・夜中に激痛に襲われ動けなくなったこと
・翌朝4時に母が弟の様子を見に行ったら既に息を引き取っていたこと

結論として、夜中に激痛が走った時、両親も本人も救急車を呼んでいません。
既に大学病院を卒業し自宅での緩和ケア(訪問診療)にしていたからなのか?
大学病院に戻されるのが嫌だったのか?
そこまでの緊急性を感じなかったのか?

私がその場にいたとしても、どうしていたかは正直わかりません。

ただ私が想う事として
・もし救急車で大学病院に搬送したとしても、その後回復が見込める状況であったか?
・翌朝に亡くなることは避けられても、残りの人生=入院生活になったのではないか?
・自宅の自分のベッドで亡くなったことは、実は幸せなことだったのではないか?

2018年5月に再発してからは、家族参加が必要な説明や診察時は私が全て同席しましたが、その中で主治医が「生きる時間を長くすることができても、それが治療で苦しむ時間で延ばすならばQOLの観点からは望ましくなく、QOLを保てる状態で長くしたい。」なる主旨の事を言っていました。

確かに、重篤な状況で半年や1年長く生きたとして、その期間がベッドから全く動けないなり本人にとって苦しいだけの時間ならば「本人にとって」どうなのだろうか?そして家族にとっては「どんな形であれ生きていて欲しい」と思う方が全てなのだろうか?
(突き詰めれば「延命治療をどうするか?」等に繋がるので今回はそこまで掘り下げません。)

良い悪いもなければ、正解も不正解もないことだと思っています。

半年以上経っても、ふとした時に、この「一生答えの出ないことを考える」私がいます。
そして、これからも「答えが出ないことを承知で」ふと考えるのだろうな、と思っています。

…という現実を備忘録として書き残しておきたいと…

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