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桜と菜の花を求めて三浦へ…

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桜と菜の花を求めて、三浦市にある小松ヶ丘池公園へ行ってきました。
「三浦海岸桜まつり」です。


まだ昼寝必須なりに体調が落ち着いてきた私。新型コロナウイルスも心配ですが、気分転換兼ねて、2か月ぶりのドライブ&散策でした。


河津桜と菜の花が有名な地域の散策ポイントという感じですが、今年は開花が早かったようで、既に葉桜になっていました。もう1~2週間早い方が良かったかもしれません。


京浜急行の三浦海浜公園駅からも歩けるので、駅から歩いて散策されている方も結構いました。

横浜市立の休校措置は2週間

新型コロナウイルス感染症(COVID-19 )の流行に伴い、2/27の夜、政府から、全国の小・中・高・特別支援学校について3/2月曜から春休みまで休校要請が発表されました。


1日経ち、今日2/28、横浜市立学校は「3/3火曜から3/13金曜まで休校」となりました。


少なくとも怪獣3号の学校の3/2月曜は、4時間目まで通常授業、5時間目が特活、そして休み突入ということになります。ただ休校期間が予定通りだったとしてもその後の授業は限られるからか、休みが延びることも加味してのことなのか、今日帰宅時、学校置きの荷物をそれなりに持ち帰ってきました。荷物を見る限り、学校が再開しても技能教科はカットされるようです。「終わっていないけれど持ち帰るように言われた」と本人言っていましたので…。


先生方はこの週末で休校中の課題等を準備するのでしょう。


神奈川県は本日が公立高校の合格発表でした。
昨晩発表されてから特に中3の先生方はドタバタだったのではないか?と思います。


この時期、遅かれ早かれ休校措置はやむを得ないといいますか、遅かれ早かれ発症者がでれば行われると思っていたのでその点は驚きはないのですが、昨晩・今日と急な発表な上に、ニュアンスが少なからず変わっていることに戸惑いはあります。あと3週間あると思っていた今のクラスでの生活が急に2週間無くなったことに本人にも戸惑っているように見えます。卒業学年ならなおさらのことかと。


突然自然災害が起きて休校になることを考えれば、急な休校とはいえ、インフラ等問題ない中での休校なり自宅待機状態なので恵まれていると思うことにしようかと。


そして、親としては子供が落ち着いて過ごせるよう見守っていきたいと思っています。

障害基礎年金の請求手続きをしました

怪獣1号2号が20歳になった事に伴い、障害基礎年金の請求手続きをしてきました。
時間のかかる大変な作業となりましたので、長文ですが備忘録として記載します。


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(事故や病気の後遺症など)原因の明らかでない知的障害の場合、
・発症日は「生まれた日」
・20歳前障害障害の場合の障害認定日は「20歳誕生日の前日」


この障害認定日の前後3か月以内が申請日です。
事前に役所の国民年担当部署(横浜市は各区役所の国民年金係)で用紙を受け取り、作成し、医師の診断書を添えて提出します。
※ここまででも日付がいくつも存在してわかりにくい。


我家は2人分かつ予約が1か月半先でないと取れないため認定日の4か月前に受診予約を先にとり、書類一式は受診日までに区役所へ取りに行きました。


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手続きに必要な書類
①年金請求書(国民年金障害基礎年金)
②病歴・就労状況等申立書
③国民年金障害基礎年金所得状況届(20歳前障害の方)
④年金生活者支援給付金請求書
⑤医師の診断書(20歳前障害の場合は認定日前後3か月以内のもの)


手続きの際には上記書類の他に
・マイナンバーカードor通知カード
・申請者本人名義の通帳
・申請者の障害者手帳
・代理人が申請する場合はその方の本人確認ができるもの
・認印(請求書類と同一のもの/訂正の際に必要)


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①③④の記載は例を見ながら記載するだけで特に問題ないです。
⑤は専用の用紙(A3両面)を医師に記入してもらう必要があります。
担当医のいる方は認定日前後3か月以内に受診・記載してもらえるよう調整が必要。


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②は専用の用紙(A3両面)に本人・代理人等が記載するもので、親はこれが一番大変です!
そのため②は少々細かく書きます。


発症日から現在まで漏れなく記載する必要があります。
本人の生まれてからの経過・状況・通院歴等を記載します。まさにその子の自叙伝作成状態。
3~5年単位で区切って記載するので、3歳以降は、保育園/幼稚園/療育通園・小学校低学年・小学校高学年・中学校・高校・通所…という感じになるかと思います。
我家はNICUに入院していたり…等があり、9つに区切りました。
本紙は片面5つ、裏が現状の生活状況の記載なので、5つ以上に区切る場合は別紙を貰う必要があります。


ちなみに、記載1枠分に「5mm幅」でマス目を作ると1枠350字です。
※枠は元々空白なので字の大きさは自由。
…ということで私は350字×9区切り×2人分の作文となりました…


通院歴や状況を把握している方には、時間さえあればどうにかなりますが、調べながら書くとなると大変な作業です。あとは文字数をどのぐらいにするかを早めに決め、その文字内に書きたいことをまとめる作業が必要です。私は何も考えず書いたら600字を超えている枠があり、内容を絞る作業の方が大変でした。


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全部揃ったところで、受取と同様、区役所の国民年金係に提出します。
提出すると、書類1つ1つ確認してくれるので、書類や持参品が揃っていれば特に問題ないです。
うちは2人分なので、区役所の提出時のチェックに50分近くかかりました。


ちなみに、提出後、日本年金機構で審査が行われるのですが、4か月かかるそうです。
そして受給決定となった場合、その後1~2か月後から支給開始となります。
提出するまでが大変とはいえ、診察予約から支給開始まで含めば、9か月がかり…という感じです。


追伸)補足があれば後日書き足すかもしれません。

マスク不足は当たり前?

今、どこにもマスク・アルコール消毒液・除菌ウエットティッシュ等が入手できない。


昨朝も今朝も車を運転したが、通り沿いの店を見ると、開店前のドラッグストアやスーパーに並んでいる方をどこでも見かける。入荷見込み未定なマスクやアルコールの入手のためと思われる。


元々花粉症等でマスクがそれなりに使われる時期。そこに日頃全く使っていない方が殺到したら店頭から消えるのは当たり前のこと。しかも1人何箱も買おうとしたら更に不足する。


今回の件を見ていて、
「マスクもアルコールも日頃から少しぐらい手元に置いておこう。災害備蓄の1つとして。(実際災害時にも必要なものだし…)」
と思う私である。まだ在庫があるとは言え、長引けば足りなくなるのは当然。在庫があるうちに少しでも供給が追い付いて欲しい…。


ただあれだけ手洗いと言われているのに、ハンドソープはまだ普通に売っている。何故?

新型肺炎の行事への影響

昨日や今日の政府発表を受けて、今日昼から(特に子供周りのイベントに関して)様々な情報が流れています。


今日の段階では、取り急ぎ今後2週間は無し、ただし中止なのか延期なのか未定なものも。


年度末・卒業・入学シーズンなので黙っていてもイベントが多い時期なので、仕方ないのでしょう。


時差通勤やテレワークと言うが、私の職場は対人なので、それができない。習い事はレッスン中止するか否かになるでしょうが、保育園はかなりピリピリしている。(この辺りは学生と同じですね。)


検査云々など思うところはありますが、それはまた別途。

やることの取捨選択

12月末から断続的に体調の悪い状態が続いていたので、今、やっと(昼寝が必要なりに)動けるようになってきても、様々な事が追いついていません。


ここまで溜まると妥協を通り越して、優先順位をつけて動くしかありません。
そして「やった方がいいけれどやらなくても生死に影響のないもの」を如何に省くか。
物の断捨離ならぬ「やることの断捨離」状態です。


朝から調子が良い!天気も良い!と思って洗濯物を干していたら、終わった途端ずっと寝てしまう…など、心身ともまだまだ思うように動けません。そのため、(その日に必要な送迎等を除いては)最低数日、可能なら1週間5日単位、可能なら2週間単位…など、通常より長めに工程を引くようにしています。


40年以上続いた思考を変えることはなかなか難しいですが、今まで通り動けないことも事実。
休むこと昼寝をすることもイマの自分には必須!という前提で、まずは今月いっぱい…と工程を引いたことをコツコツやっていきたいと思います。

弟の死から半年経ってもふと思う事

弟が亡くなって半年が過ぎましたが、突然ふと考える事があります。

弟が急変したとき何故救急車を呼ばなかったのか?…ということ。
ちなみにこれは単なる疑問であって、賛成反対等の話ではありません。
経過を把握していた私としては、呼ぶことのメリットデメリットは承知しているからです。

私がわかっていることは
・亡くなる前夜20時頃LINEでやりとりしたこと・電話で直接話したこと
・夜中に激痛に襲われ動けなくなったこと
・翌朝4時に母が弟の様子を見に行ったら既に息を引き取っていたこと

結論として、夜中に激痛が走った時、両親も本人も救急車を呼んでいません。
既に大学病院を卒業し自宅での緩和ケア(訪問診療)にしていたからなのか?
大学病院に戻されるのが嫌だったのか?
そこまでの緊急性を感じなかったのか?

私がその場にいたとしても、どうしていたかは正直わかりません。

ただ私が想う事として
・もし救急車で大学病院に搬送したとしても、その後回復が見込める状況であったか?
・翌朝に亡くなることは避けられても、残りの人生=入院生活になったのではないか?
・自宅の自分のベッドで亡くなったことは、実は幸せなことだったのではないか?

2018年5月に再発してからは、家族参加が必要な説明や診察時は私が全て同席しましたが、その中で主治医が「生きる時間を長くすることができても、それが治療で苦しむ時間で延ばすならばQOLの観点からは望ましくなく、QOLを保てる状態で長くしたい。」なる主旨の事を言っていました。

確かに、重篤な状況で半年や1年長く生きたとして、その期間がベッドから全く動けないなり本人にとって苦しいだけの時間ならば「本人にとって」どうなのだろうか?そして家族にとっては「どんな形であれ生きていて欲しい」と思う方が全てなのだろうか?
(突き詰めれば「延命治療をどうするか?」等に繋がるので今回はそこまで掘り下げません。)

良い悪いもなければ、正解も不正解もないことだと思っています。

半年以上経っても、ふとした時に、この「一生答えの出ないことを考える」私がいます。
そして、これからも「答えが出ないことを承知で」ふと考えるのだろうな、と思っています。

…という現実を備忘録として書き残しておきたいと…

ビタミンCの摂取

先週インフルエンザになったのを機に、最近ビタミンCの摂取を考えるようになりました。


よく考えたら、毎年冬にはサプリ含め「ビタミンC」をしっかり摂っていたものの、この冬は貧血等の不調が大きすぎてその存在が完全に頭から抜けていました。しかも今回改めて食生活を見直してみると、夫は毎日「みかん」食べていたのです。ただでさえ食生活が乱れていたこの頃、どう考えてもビタミンCは摂取できていなかったな…と今更ながら反省です。


早速ビタミンCのサプリとみかん買ってきました。


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そういう事を考えられるようになっただけでも、元々の心身面は少しずつ元に戻っているのかな、と思えます。逆を言えば、自覚以上に、相当追い込まれていたのかもしれません。今思えば12月は1日何も食べない日が普通にありましたからね…。まずは「普通の生活」が送れるよう、時に意図して気を付けて、時に気ままに過ごしていきたいと思います。

治療開始4週間経過…抗うつ剤の効果!?

内科と心療内科で処方された薬を飲み始めて4週間経ちました。


内科面、貧血やめまいは、改善されていることを実感していました。
心療面はどうなのか?と思いながらの今日4週ぶりの通院でした。


結論から言うと、薬の効果はちゃんと出ているということでした。
先生からも「1か月前と雰囲気が全然違う!」と言われました。


この1か月、寝ても寝ても眠れる…日々でした。8時間ぐらいしっかり寝ても朝が弱かったり、昼寝もしてしまったり…。薬が合わないのではないか?と思う事も多々。


ただ、今日診療中に先生と話をしていて、ほぼ毎日あった過呼吸やパニック症状も不安に思う事が激減していることを改めて実感しました。実はこの1か月1人で出かけることが怖くて、1人で電車バスに乗ることができませんでした。今日久々にバスに1人で乗ったことを改めて思い出しました。
また、よく寝ていることは事実なのですが、それだけ溜まり切っていたと思うように、と。


仕事も「2週間は休むように」と言われていたのですが、実際には1か月休んでいる(正確には負荷の少ない方だけはすぐ近所かつ短時間なので続けている…実質半減)ので、その事も心身を休めるのにいい方に働いているようです。

家庭内隔離解消

解熱後2日が経ち、今日、出席(出勤)停止期間が明けました。
これに合わせ、家庭内隔離も終了しました。


幸い家族は皆元気です。
誰にも移さず終わりホッとしています。


今回、エアコンもテレビもない部屋を使っていたので、丸3日半テレビを観ない生活をしていました。
スマホでネットニュースは観ることができますし、テレビっ子でもないので、特に困ることはありませんでした。ただ、「テレビのない病室で入院したこともあったなぁ…あの頃はスマホ無かったし…」と、以前の入院を思い出したぐらいです。


今日は久々に1日起きて、 ペースダウンなりに、掃除や片付けや洗濯など行いました。
復調してきた矢先のインフルで体力が戻ってしまったことが悔やまれますが、元々の疾患もあるので、無理ないペースで戻していこうと思います。


久々にリビングにいたら、ついテレビを観続けてしまいました(^^;;

17年ぶりインフルエンザ発症

今週、私がインフルエンザA型に罹患してしまいました。
実は人生初めてインフルエンザに罹患した17年前以来、人生2回目のインフルです。
しかも、予防接種を打つようになってからは初めての罹患。


家族4人が罹っても私だけは罹らない…が数回あるほど日頃から気を付けていたので、今回は我ながら辛さよりショックの方が大きかったです。


鼻は出ず、咳もわずか、ただ喉が痛く、熱が昼間に一気に38度、夕方には39度となりダッシュで病院駆け込んだら、インフル陽性でした。 喉の痛みから3日後に発熱したのでどこで貰ってきたのかよくわかりません。しいていうなら喉の痛みの直前が仕事だったので職場?(職場は私と同時期に罹患者が出ていたそうです。)


幸い、急激に上がった熱は発症翌朝に下がり、発症3日目の現在、関節痛、筋肉痛、頭痛、倦怠感、喉痛、軽い咳が残っています。元々この1ヶ月少々体調崩して、ペースダウンなりに動けるようになってきた矢先のダウンに、身体が一気に1ヶ月前に戻ってしまった感覚です。個人的には、予防接種も予防もしていたのに罹患したこと、体力が回復しないことに凄く悔しい気持ちが大きいですが気持ちだけでは身体は動かず。39度出したのも久々過ぎて体力消耗したのでしょうか?実は家族の中で私が免疫力1番落ちていたのではないか?と思ってしまう事態です。
ただ、熱、咳、鼻の状態がすぐ落ち着いたのは予防接種のおかげなのかな?と思うようにしています。


我家にはインフルに罹ると大変なメンバー が複数いるため、今回完全隔離して入院患者の如く部屋に篭っていました。今のところ家族に症状の出ている人が1人もいないのが幸いです。


インフル診断の出た直後(は記憶がない)に早退し、その後、隔離状態の私の代わりに家事一切を引き受けて動いている夫にただただ感謝です。

中学入試スタート

本日は2月1日。
東京・神奈川の中学入試スタートです。

学区の小学校は半数が私立や公立中高一貫を受験するので、例年なんとなくワサワサしているのですが、今年は1日2日が週末のため、状況がイマイチわかりません。

我家で中学受験したのは怪獣1号だけで、かつ、結果的に公立行ったけれど、1つの経験として悪くはなかったかな、と思っています。

公立中に通う怪獣3号は、最初から中学受験する気ゼロでしたので受験していません。

毎年センター試験の時は雪が降ることが多いですが、ここ暫くは天気は良さそうなので、中学受験に天気の影響がないだけ良かったかな?

治療開始2週間経過…鉄剤の効果!?

1週間ぶりの更新です。

内科と心療内科で処方された薬を飲み始めて2週間経ちました。
すぐに効くものと10日~2週間かけて効くものがあるので、心身の状態を観察中です。

薬の効果か副作用か、わからないこともありつつ、自分の心身状態のパターンが見えてきたところです。

起床時間、昼寝時間、この時間は不調、この時間は落ち着いているなど…。

子供達の送迎都合などもありますが、パターンがわかってくるとそれに合わせて行動できるので、やっと「日常生活」が回るようになってきました。

まだ必要以上の活動は心身的に厳しいところもあるので、様子をみながら動いています。

最近、食欲が出てきました。そして嗜好が変わって(戻って)きました。
過去の経験から、貧血が改善されてきたかな?と思っています。

もう少し、ペースダウン(が難しいのですが…)で自己管理していきたいと思っています。

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