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経路開拓大作成?

毎週のように、日吉の自宅と、相模原の実家を往復していますが、どうしても国道16号線に渋滞ポイントが何か所か…。

そしてもう1つ気になることが「どのルートが最短距離なのか?」ということ。

直線で行く道がないため、少なからず右回りか左回りか…それに平行する道が数本ずつ…と、私の勘とナビのおかげで「新しい道」を開拓してきました。多少混んでいても国道の方が動き出したら速かったり、住宅街の中のような道は信号多いし平均速度も遅いけれど混まない分淡々と走っていたら速かったり、よくわからないです。

今日は開拓した道を組み合わせて、「距離的には最短ではないか?」と思われる道で移動してみました。
…といいながら、スタート時とゴール時の距離を見ていないので、最短かわかりません(-_-;)
しかも帰りは、街灯少ない住宅街を走ることになり、「ここ曲がるの?」とナビと格闘(-_-;)

今日はいつもコースの1/3は占める国道16号をほとんど通りませんでした。往復とも何故か渋滞がひどくて。
それでも往路1時間25分、復路1時間20分だったので、まあ悪くはない数値かと。

道のバリエーションが増え、点と点が繋がり、運転する際に「他の道もある!」と思うと気分がかなり楽になってきました。

…それでも運転が「好きではない」私には片道30㎞の運転は私には疲れる…

初の月命日

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本日は弟の月命日。亡くなってからちょうど1か月経ちました。
そして葬儀から4週間経ちました。

今朝3時36分に目が覚めました。
亡くなった翌日以降、実家から電話のあった朝5時半に目が覚める日が続いていたのですが、こんな時間に目が覚めたのは初めてです。
諸々の状況から朝3時~4時頃に息を引き取っていたとみられるので、もしかしら「この時間だよ!」と弟が起こしてきたのかな?霊感はないのですが、1か月前も含め「ふと目が覚めた時に…」という経験が多々あるもので…。

今日で三男の夏休み終了。
この夏は本当に弟のことだけで終わった…。
ただ私の実家通いもそろそろ週1で済みそうです。いや、息子の学校も始まり、仕事も復帰したので、週1より減らしたいところです。

画像は、慶応大学日吉キャンパスの銀杏並木より。本日午後撮影。

今週から仕事復帰

弟が亡くなってから(週2とは言えども)仕事休んでいました。

葬儀はともかく、その後の手続き等で私が親の代わりに出向くことが多すぎて、予定未定状態でした。
さらに我家も(障がい児がいたり)そう簡単に空けられる状況でないので、仕事の日=家を空けられる日という感じで、仕事の代わりに出向くことも多く。とは言え、レッスンを担当しているので代講含め他のスタッフに迷惑をかけているのも事実なので、私なりに悩み、お盆休み明けから復帰することにしました。

21水曜は、初日からイベントあり、書類配布あり、カリキュラムミーティングあり。
浦島太郎状態なのに、やることだらけで、ペース疲れかの如く…。

翌22木曜は、休んでいた間のレッスン準備やレポート作成で、半日無休で職場でした。

そして、今日24土曜からレッスン再開。(今は土曜のみレッスン持っています。)
朝から1時間✖2コマ連続、昼食休憩後、1時間半✖2コマ連続なので、元々週1といえども1日5時間レッスンやることでヘロヘロなのですが、今日は終わってからの疲労感が半端なかったです。

まだ勘が戻っていないところはありますし、でも前期で終了するクラスもあるので、あと4週、しっかりこなしていきたいと思っています。

仕事できるのも、念願のプログラミング教育に関われる事も、生きているからできること。
正直イマの(まだ後処理の続いている)状況では色々大変ですが←昨晩も実家から戻ってから予習したら26時でした、生きているから~ってことでなんとかなるでしょう。

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しかも後期(10月)から担当レッスンが一部変更し、増えることになりました。
事務かミーティングだけだった水曜に1.5時間(新)、土曜は1時間(同)+1.5時間(新)の2コマ連続、昼休憩後1時間半✖2コマ連続(同じ)。
トータルすると2コースから3コースに増えトータル5クラス7時間、レッスン時間は今までより2時間増えることになります。

通常は1レッスン1時間、プログラミングクラスだけ1.5時間なので、
「通常1レッスン+プログラミング低学年用2レッスン+高学年用2レッスン」
通常が1レッスン減る代わりに、低学年用プログラミング2クラス分増えます。
1.5時間を週に4コマ持つ先生はパートでは(代講などの臨時を除けば)いないです。

さて、益々多忙になる私。これからどうしましょう!?

友人から届いたお線香

弟が亡くなって3週間経った今日、古くからの友人から荷物が届いた。

開けたら「お線香」が入っていた。

やりとりは頻繁ではないものの、SNSや年賀状で近況は知っている、唯一今でも連絡を取っている「地元」の友人。
幼稚園・中学校・高校と一緒で、大学も就職後も友達の友達繋がり…等で縁のあった、ある意味貴重な友人。
(実家同士徒歩圏なのだが小学校だけはギリギリ学区が分かれてしまった…。)

私の弟妹の事も勿論知っているので、早期に連絡するメンバーとして書き出していたのに、私が連絡し損ねていた。。。

そしたら、「ブログを読んで知ったから!」と、お線香を送ってくれたのだ。

彼女もSNSを使っているとはいえ、積極的に使っている感じではなかったので、私がブログをやっていることは知っていると思っていたが、読んでいるのは知らなかったのだ。

でも、いざ荷物が届いて、幼少期から私や弟妹を知る友人に、当時のように私だけでなく弟妹のことも「当時の呼び名」で言って(書いて)くれる友人に、上手く書けないが「安堵感」「安心感」のようなものを感じた。なんだろう?既にオープンにしている事ではあるが、やはり、「弟のことも幼少期から知っている友達」なのが大きいのかもしれない。

彼女も結婚しており、普段会う事は全くないのだが、それでも直接渡されたかの如く嬉しかった。

きっとこれも読んでいると思って。「本当にありがとう!!!」

怪獣3号TDLへ行くの巻

【公式】東京ディズニーリゾート・オフィシャルウェブサイト

昨日のことだが、中1の怪獣3号が、同じクラスの友達4名(男2女2)でTDLへ行ってきた。現地に7時前に着き、8時開園から20時半前まで居て帰宅。(電車移動で片道1時間45分ぐらいなので5時すぎに出て22時前帰宅。)
最初から今日の日付指定でチケットを購入していたので、台風10号による天気が心配だったが、雨が降ったり止んだりはしつつ、そこまで大変な事にはならなかったとのこと。

本人は3歳頃家族で行って以来なので記憶がないらしい。その意味では実質「初ねずみーランド」なわけで、友達も含め、買物もほとんどせず、ひたすら乗りまくって、食べ歩き・食べ待ちしていた模様。唯一被り物だけ4人で揃って買っていた。見ていないが写真は結構撮影したらしい。

(コンビニでチケット購入した直後に偶然会った)担任には話していたのに、私には誰と言ったか結局教えてくれないぞ!まあ中1男子そんなもんか。(女子はクラスかつ部活同じ子なのは何となくわかったが…。)

遠いので今回門限等は特に言わなかったが、ほぼ予想通り、20時のエレクトリカルパレードを観て現地発という流れ。

入場料中学生で6400円にも驚いたが、スマホのアプリで使えるファストパスも13歳以上から使えることも含め、今は中学生グループで行くのも当たり前なのか…とちょっと驚いた私であった。。。

まあ、夏休み早々に部活大会にピアノ発表会に…更に私が弟対応で夏休みらしいことは何一つできていないので、本人達で楽しめたのならそれはそれでよかったかな、と。

天気予報見る限り、昨日でまだ良かったのかな?今日は横浜すら風が強いですからね…。

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おまけながら、門限に煩い私の実家だったら大学生でもOK出ていないだろう…と思ったのであった。
(私が初めてTDLに行ったのは大学生時でしたが、誰と行くか、遅くなるので誰の家に泊まるか、など、まあ色々聞かれまして。)
私が門限をあまり言わないのは親の反面教師。当時を知る人はご存知だろうけど当時相当苦労したので(笑)

疲労爆発?

弟が亡くなって3週間。11日(日)で実家対応が一旦ひと段落?お盆のため一旦休息し、13日(火)までは細々と予定があったので、「気づいたらうたた寝」ぐらいで済んでいたのですが、予定ゼロの14日(水)はほぼ丸1日、そして今日15日(木)も10時半頃まで爆睡していました。

昨日は、食事を作った以外、記憶がない程、私にしては珍しく夢も見ず、魘される事もなく、いわゆる「熟睡」していました。
それなのに夜も早々と寝てしまい、今日も結果的に目がきちんと覚めたのは10時半でした。

ただ、今朝後半は、前職(某ドラッグストア)と前々職(塾事務)を合わせた変な夢を見て、夢の中で頭がトンチンカンになっていました。業種が全く違うに何故混在?場所こそどこかわからないのですが、双方の実在するメンバーも登場し、目が覚めてから頭が更に混乱…。

これだけ寝続けたのも珍しいですが、おかげで、「今は」頭がすっきりしています。
…と書きながら午後昼寝していそうで怖いです…

余程心身溜まっていたのか、何なのか、自分でもわかりません。
無意識に無理していたのでしょう…と思うことにします。

来週からの仕事復帰に向けて、色々予習復習することが溜まっています。今日から開始する予定でしたが、この体調では…。
もう1日ゆっくりして明日から!と割り切った方が良さそうなイマ。。。

平成31年発行の硬貨

子供達とお金のやりとりをしていたところ、ピカピカな金貨を発見。

はて?

よく見たら「平成31年発行」の「500円玉」!

実は平成が終わる前に「平成31年発行」の「100円玉」を見つけており、当然の如く、使わず保存してあります。

平成31年の硬貨がいつまで発行されるのか、平成の終わりと共に…でなく令和になって暫くは平成だと聞いた記憶があるのですが、本当のところは調べていないのでわかりません。どちらにせよ、平成最後発行の硬貨にはかわりないので、きっと保存しておくだろうな…。

…でも取っておいたら何かいいことあるのかなぁ…

と紙幣が変わる度に暫く取っておいても結局使ってしまう私なのである。今回はどうなるか?

生きているから悩むのだ

7月25日から、時間だけが過ぎて行き、でも心の中の時間は止まったままで、気づいたら8月13日。

お盆明けから仕事復帰予定なので、理由は全く違うとはいえ、2年前と同じ状況になっている。

(2年前は心身疲労で同じく7月末からお盆まで休職、その後しばらくペースダウン復帰となった。)

ずっと何かに追われていたが、弟の件が一旦休息モードになったので、お盆明けまでは「私自身の心身状態を復活する時間」に充てる予定。

弟が亡くなって悲しいとか思い出す…という以前の問題。

やることに追われすぎて、そこから一時的に開放されて、現在「燃え尽き症候群」に近い感じかと。

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現実から離れる時間ができてしまうと「今の生活のままで良いのか?」を考えてしまう。

2年前は、職場に、プラスもマイナスも気づいて・言い合って・頼り頼られ・喧嘩もする間柄の方がいた。だから仕事はどうにか乗り切れた。
当時は仕事に関わることが大半を占めていたので、仕事が乗り切れれば、他のこともどうにか乗り切れた。

さて、今回のモヤモヤはどう乗り切るか?今日からの1週間でどこまで整理整頓できるか?何か見いだせるか?

昨年5月以降、弟が転移して再闘病生活に入ってからは、何かあると「生きているから楽しんだ~」「生きているから苦しんだ~」という某歌の歌詞のいちフレーズだけ横切る。何があっても「生きているものの試練」と捉えて乗り切ってきた。

ただ、弟が亡くなって20日弱経ち、この1年やこの20日間の経験から、「何か」がずっとひっかかっている。「何か」がずっとモヤモヤしている。
まずは1つずつ書き出すことからだろうか?

過去は変えられない、これからは変えられる。
隣の幸せを羨ましく見ていても何も始まらない。

その反面「悩める贅沢」を感じる。
「悩めるのは選択肢があるから」そして「生きているから悩むんだ~」

…今の心の備忘録…

数あるルートに慣れてきました

私の家(横浜市港北区)から実家(相模原市中央区)へ行くまで、車で移動するには、様々なルートがあります。

なにせ、直線で動ける道がないので、いくつかの平行する道のどれを渡り歩く、ならぬ渡り走るか、なのです。

国道をメインとするルートが一番わかりやすいのですが、時間帯によっては「相当」渋滞します。

実家に車往復するようになったのは、昨夏ぐらいからなので、そのころは「寝ぼけていても運転できるのでは?」というルートを1つ確立し、主にそこを走行していました。ただ、この2か月は実家往復が基本車となり、走る回数が増えてくると、私の負担が少なくかつ時間ロスの少ない道はどこ?とチャレンジするようになりました。

行きは時間帯や曜日によって混雑状況がかなり変わるので、ナビが毎回知らないルートを表示してくれます。おかげでここ4回、毎回違うルートです。前半は同じルートなのですが、後半に「ここはどこ?」というルートが出てくるのです。でもおかげで、新しい発見もあり、疲れながらも「この道なら大丈夫だろう!」「この道の方が抜け道にはいいかも!」と思える道も出てきました。

帰りは21時~22時を走るので、どこを通っても渋滞はほぼ避けられるのですが、国道は平均速度が速すぎるとか、(私が弱いのですが)街灯で目がショボショボして疲れてしまうなどの難点で疲れてしまい…。でも国道使うのがやはり早いので、途中まで国道、途中から慣れた一般道など、組み合わせが増えてきました。

そんなわけで、元々行きと帰りで道を変えているところに、それぞれバリエーションが増え、ちょっと嬉しくなっています。
でも新しい道はどうしても「ここで曲がるんだよね?」含め神経使うので、帰宅後の疲労感は増えてしまいます。

ただ、こんなことを連日やっていたら、運転が得意ではない私でも、片道30㎞の運転に自信が付いてきました!

実家族4人の時間

弟が亡くなってから、気づいたら半月が過ぎていました。
そして通夜から2週間経ちました。
あっという間に時間だけが過ぎて行きます。

この2週間、物理的に忙しくて、両親の代わりの手続きも多々あり、実家に行くか、自宅でメールか電話対応する日々。

亡くなったというより、また入院して家にいないだけでしょ!的な感覚が続いていました。

亡くなってから葬儀も含め、実家族4人(両親と妹と私)が揃うことはあっても、4人でゆっくり話すことはできずにいました。

今日初めて、4人が集まり、ゆっくり話をすることができました。本当の目的は「探し物」だったのですけどね。
急ぎの探し物は見つかったことと、片づけは四十九日過ぎてからで良いという話もあり。

時間を割いて行った妹はどう感じたかわかりませんが、私は、今週(親の代行で)弟の手続き入れたら3度めの実家方面お出かけで、正直心身お疲れモードでした。ただ、今日は父が片づけより話をしたい…という雰囲気を醸し出していましたし、4人揃ったのも久々だったので、まあそんな日があっても良いのかな、という感じな時間を過ごしました。

世間がお盆休みなので、手続き等の動きの続きはお盆明けになります。

この半月、連日あまりにドタバタしていたので、お盆休み中ぐらいは、少しペースダウンで、この間手薄になっていた家族フォローに充てたいと思います。

最終的には親が決める事ですが、私も妹もいざというとき飛んでいける環境(家庭状況や物理的距離)ではないのは事実。
四十九日過ぎたら、今後の事を考えて欲しいな、と思っています。

とりあえず、ちょっとひと段落したかな?と思いたいイマ。

本庁訪問と退職手続き

今日午後、亡き弟の職場の本庁に行ってきました。(一応公務員です。)

トップへの挨拶と、退職に伴う手続きです。

本来は挨拶も手続きも両親が行くべき場面なのですが…父は車椅子による移動の問題・手も沢山の書類を記入するには厳しく、母はヨタヨタ歩きで辿り着くか不安なところに書類の山で頭が混乱するのが明らかなので(泣)、私が両親に代わって1人で本庁へ行ってきました。

手続きだけならまだしも、(こちらから希望したとはいえ)トップとの面会アポも取っているので、私にとっては喪主代行以来の一大イベント。

最初がトップとの面会、かつ初めて行く場所だったので早めに出たら、順調すぎて予定より早く着きすぎました(笑)
ただ、私に付き添ってくださることになっていた弟の上長さんが、それを見越して早く来てくださったので助かりました。
弟の職場に関することは、その方と私で直接やりとりしていたので、性格を読まれていたかも?

トップとの面会は5~10分程度と聞いていたのですが、いざ行ってみたら応接室に通され、秘書さんはお茶出してくださるし、思わず部屋の中キョロキョロしてしまいました。こんな貴重な経験なかなかないですからね。
トップには、療養休暇取りつつ最期まで務めさせていただいたこと、葬儀に参列していただいたことへ、両親に代わってお礼を伝える…だったのですが、トップの方が数ヶ月前に交代したばかりで、約2年の闘病生活の全貌はご存知なかったこともあり、逆に色々聞かれることもあり、気づいたら20分ぐらい話していたような気がします。

その後、会議室に移動して、手続き書類を1つずつ説明を聞きながら記入する作業。
単なる退職ではなく死亡退職なので、いわゆる退職金や源泉徴収の話は勿論、遺族年金、埋葬費用請求、互助会からの給付金、そしてそれらを受け取る(相続)するための手続きなど。普通の退職手続きなら自分も経験があるからまだしも、まあ、死亡退職だと手続きが倍増するのね…と感心半分、総務も大変だなぁ半分。個人情報の関係で(職場でなく)直接関係機関に連絡を必要とするものが保留になっている他は、終了させました。予想通り、この手続きだけで1時間半近くかかりました。

このような形で弟の職場の本庁へ行くことになるとは思ってもみませんでした。
ただ、付き添ってくださった上長さんが、本庁にいる弟の同期や、(場所を数年単位で点々とするので)以前の場所で一緒だった方はじめ、弟にゆかりのあった方々を見つけては声をかけてくださり、私を紹介してくださり、色々な方々に挨拶することができたことは、私としては本当に嬉しかったです。

これで、お盆明けに、弟の最期の所属場所となった事業所に挨拶に行ったらひと段落かな、という感じです。

私がふと思い立って依頼し、現在の上長さんから以前のトップの方に、弟が亡くなった事とそれまでのお礼を伝えていただけました。
発症した頃や転移してすぐの頃のトップで、大学病院にもお見舞いに来ていただいたと聞いていたものの、異動されたため今回の事やお礼を伝えたくても私では手段がなく。今日の昼にふと思い立ったので、両親にも相談せず上長にお願いしましたが、快諾していただき無事連絡が取れた後すぐ私に連絡が来ました。「お悔みと共に、報告してくれたことに対して逆にお礼を言っていた。」との事でした。私も無茶言った…と思う反面、私の気持ちを伝えそれを理解してくださった上長にも感謝です。両親には事後報告になりましたが、お礼を伝えるタイミングもありますからね。

私の代行職は当面続きますが(特に外回りや手続きが厄介なもの)、とりあえず大きなイベントがまた1つ無事終わってホッとしています。

画像は13時すぎ到着時の現地。快晴で暑かった…。
夫の職場すら(迎えで正門前まで行っても)中に入ることはまずないですからね。
ココに来ることは2度とないだろうな。幹線道路沿いなので車で通ることはあるかもしれないですけどね。

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未だに血が騒ぐ甲子園

テレビを点けたままにしていたら、甲子園のニュースが流れていた。

これだけで血が騒ぎ出す私な何なんだ?と自分で感心してしまう。

私自身が高校生の時、春の選抜で「応援団(吹奏楽部)」として甲子園へ行った。
大学生の時は、母校吹奏楽部OBとして夏の甲子園にも楽器持って行った。

応援が連日になって泊まりになり、空き時間に大阪城に行ったり、京都嵐山を散策したこともはっきり覚えている。
新幹線で日帰りしたこともある。

それだけ甲子園での応援は、インパクトありすぎたイベントだった。。。

高校野球そのもの、相手校との応援団同士の関わり、そしてこの応援ツアーそのもの。
どれも貴重で、大事で、大切で、様々な想いや感情があるものだった。

今でも思い出すこと、想うことは沢山あるが、あの頃のことは色褪せる事なく覚えている。
大切にしたい想い出の1つである。

しかし、今も昔も、応援では必ず「アフリカンシンフォニー」が使われるなぁ…と最後は応援曲に耳が…♪

その後の初レッスン♪

私自身のレッスンは隔週なので、昨日が、弟が亡くなってから初のレッスンでした。

実際問題として、この2週間全く弾いていません。
物理的なのもありますが、やはり精神的に弾けませんでした。
弟と私も、実は三男が現在通っているのと同じヤマハのコースに、2人で片道30分かけて通っていました。
時間がないなりに少しでも弾こう…と思っても、無理でした。

でもフェスティバルまで1か月半を切り、練習回数も限られているのもあり、気分転換も兼ねて行くだけ行ってみよう…と。
弾いていないとはいえ、幸い自分のパートは一応弾けるので、皆と合わせることがメインです。

皆で合わせていると、どこか泣きそうな自分が顔を出します。
その反面、当時のようにアンサンブルを楽しむこと、自分達の納得いく演奏することが「私なりの」供養の1つの形なのかな、と思うようになりました。

まだまだ忙しい日々が続き、心の整理以前な状況ですが…
今回大人クラスとして初めて大きいステージに立てること、これも何かの縁だと感謝して、本番に望みたいと改めて思った昨晩でした。

ピアノソロ発表会2019終わる

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UPがすっかり遅くなりました。

三男のヤマハ日吉センターの「ピアノ個人レッスンの発表会」が無事終わりました。

今回弾いた曲は、ダカンの「かっこう」です。

結果から書けば、先生評価も、本人感想も、私の感想も「粒が揃ってよく弾けていた!」です。
ソロの発表会は4回目ですが、一番堂々と、安定感と余裕をもって弾けていたと思います。

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この曲、発表会には比較的使われ、名曲集のようなテキストにはよく載っています。
最初から最後まで、全体、主に右手に16分音符が続き、その伴奏の中に逆手にメロディーが入るような曲です。
如何に16分音符が均等に綺麗にメロディの邪魔なく弾けるか、その16分音符にアクセントがつけられるか、その中で逆手のメロディーが出せるか…
譜読みは一見楽なものの、弾きこなすとなるとポイントが多くてなかなか難しいです。

私は直接レッスンではやっていないのですが、誰かが発表会で弾くと後から初見で弾いてみて曲を把握する子供時代でしたので、当時から曲は知っていて一応弾けますが…だからこそ簡単に弾きこなせないことも把握していました。

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三男、小6の後半から殻を破ったかの如く、ピアノへの意気込みが変わっていました。
その中でのソロ初の発表会。
中学生になり、部活後毎日18時すぎ帰宅、それから勉強して、ピアノ弾いて…
中学生になってからの方が私が感心するぐらい毎日良く弾いていました。
だからこそ本番を楽しみにしていたのですが…

実は先に書いた通り、その直前に弟が亡くなり、本番と告別式が重なってしまいました。
本人と話した結果、本人が「1人で発表会に出る!」という決断をしました。

毎日「疲れた~」と言いながらも練習を続けた姿を見ていたので、本番を1人にしてしまうことが本当に心が痛かったです。
重なった事に弟を恨みましたよ。。。

個人レッスンの先生は勿論、グループレッスンの先生(もピアノ専攻なので当日会場にいる)にも事情を伝え、そして三男には内緒で私の知人に撮影部隊&見守りを頼みました。みなさんに見守ってもらいながら、堂々を弾きこなし、本当に逞しく感じました。本来はあり得ないのですが、グループの先生(4歳からお世話になっている)が動画撮影と、終了後に先生方と撮影した画像を送ってくれました。私の知人は、三男を撮影していたことで逆に様々な方に声をかけられたそうです。(私が発表会に行かない…こと自体が今まで1回もなかったので…。)

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知人や先生方に見守られ、無事終了したことにホッとすると共に、皆さまへの感謝でいっぱいです。
(私は2人の先生だけしか伝えなかったのですが、発表会にメインで関わる先生方だけは事情知っていたようです。)

何より、1人で乗り切った三男の成長が嬉しいです。
実家泊りで当日会えなかった三男、私が朝連絡したら、「相模原に届くように弾くからね!」と返信が来ました。
それだけで泣ける私は親バカ!?でも私が喪主代行頑張れたのもそのおかげです。

年3回発表会のある三男、次の9月半ばのエレクトーンフェスティバルへ向けて始動しています。

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