怪獣1号2号22歳になる

本日2月8日は、怪獣1号2号の誕生日。

22歳になりました!

超低出生体重児、650g・30㎝で生まれ、生死を彷徨った2人も、あれから遂に22年!

毎年複雑な感情が湧き出てきます。

2人とも、高校・特別支援学校高等部を卒業して4年め。
やっと落ち着いてきたような気がします。

怪獣1号は福祉就労ですが、今年になり、最近は新しい仕事先へ行くことが増え、そこの作業着を着て仕事をしています。
今までは別の仕事先へ行くことはあっても私服のままでしたので、作業着上下を持ち帰ってくると、不思議な感じがします。

怪獣2号は、生活介護施設になかなかなじめず、一旦週4まで増えた通所が週2に戻ってしまっていましたが、昨年10月から新しい施設にも通うようになり(週2+週3の2か所平行通所=平日週5通所)、そのパターンにもやっと慣れてきました。新しいところは慣れるまで3か月ぐらいかかるかと思いきや、1か月かからずすっかり慣れました。2か所のスタート時間や送迎方法の都合で、家の出発時間が1時間近く異なるのですが、これも、年明けぐらいにはすっかり慣れてきて、月火はゆっくりと…水木金は早めに…と本人なりにわかっているようです。
時計は数字としては読めますが、それで判断しているのか、テレビの番組で判断しているのか?

そして怪獣2号は最近、自分で薬を飲むこと、食後にうがいをすること、手を洗って消毒することがセットで動けるようになりました。
(薬の準備は事前に必要ですが)本人が忘れていても、私のみならず、怪獣1号や3号の声掛けフォローでも動けるように。
いつの間にか私の真似をして声掛けをしてくれるようになった兄弟。こればかりは怪獣1号と3号に感謝感激です。

-----

生まれた頃は、1日1日生きることが必死で、20代の2人の様子など全く考えられませんでしたが、
20代になっても成長なり順応する力は身に着いていくのだなぁ…と感心することばかりのこの頃です。

障害があっても『彼らなりのペースで』成長し、吸収し、経験して欲しい…と願うばかりです。

-----

誕生日会は怪獣3号の入試終了までお預けなので、今回はイベントは何もしていません。

祝!怪獣1号2号誕生日

20210207_110929658_ios

2月8日は怪獣1号&2号の誕生日。
650gの超低出生体重児として誕生した彼らも遂に『21歳』になりました。早いものです。

昨年無事成人式20歳を迎え、既に社会人なこともあり、既に1歳2歳は誤差の感覚です。
(まだ学生だったら進学・卒業・就職等年齢を感じることも多いのかな?と思います。)

この1年はコロナ禍でのドタバタはありましたが、双子どもは大きな病気ケガもなく過ごすことができました。
今年度は、怪獣1号は変わらず週5(月8休み)で福祉就労施設通勤、怪獣2号は多少変更ありつつ週4生活介護施設へ通所です。
ただ、怪獣2号は、週末のお出かけを始めたり、11月からはヘルパーさんへの依頼を増やし、(臨時で増えることはありますが)基本私が送迎する日は週1となりました。本人対応についてはまだまだ課題はありますが…。
おかげでコロナ禍その他諸々で心身イマイチな私は随分助かっています。

もうお祝いする年齢なのか微妙なのですが、HappyBirthday♪歌って、ケーキ食べました。

発達フォロー・介助の面ではまだまだ、いや、これからもずっと、私が生きている限り続きます。
ただ、幸い身体は比較的丈夫なので、また1年健康に過ごしてほしいです。

【本】NICU命の授業…読了

以前ココに書いた、神奈川県立こども医療センターの豊島先生が書かれた『NICU命の授業』。

感情移入なり、当時を思い出しすぎて、なかなか読み進まず…やっと読み終わりました。
読み始めの頃の話は『ココ』

読み終えての感想。

①NICU卒業と同時に、NICUでは『当たり前だった』ことが、普通の世界では『当たり前で無くなった』こと。
②障害がありつつ生きる子供たちのイマを一緒に懸命に生きよう!と『現実を受容』できるようになったのは
 実は双子が二十歳になった最近かもしれないと感じたこと。
③これら含め、当時から今までの経験を改めて振り返り、ひたすら走っていた日々に改めて気づかされたこと。

----------

自分が住む地域には双子ちゃんは意外といたのですが、逆に、NICUで過ごした赤ちゃんは全くいませんでした。
しかも4か月も早く生まれ、(早生まれになったため)学年が上がり、かつ2人とも軽度重度なりに知的障害と自閉症がある2人。
発達障害が今ほど広く知られていなかったこともあり、こだわりやじっとするのが苦手なことが理解されない。
母の私にとって「双子を連れて外を歩くこと=謝り続けること」。
2人の程度が異なるために、特別支援学級と特別支援学校に分けて通学することになったこと。
そして2人分の送迎が必要になったこと…

書き出したら泣きだして書ききれません。

----------

タイトルは『NICU命の授業』ですが、私にとっては、半年お世話になったNICU生活そのもの、そして、その後今までの生活、それらを総括させていただけるような貴重な本でした。

偶然ながら、夫が一時期お世話になった大学病院と、双子がNICUでお世話になった大学病院が同じであったため、夫が入院時は(子供たちの外来フォローは終わっていたのもあり)NICUに寄り、主治医の先生と話をさせていただいていました。20年経っても、私にとって『NICU』は『スタートライン』であり『初心に返る場所』なのです。

療育修了と指導所見

ここに書いたつもりでいたのですが、怪獣2号くん、3月をもって、11年通った民間療育を修了しました。

1回1時間✖月2回。臨床心理士の先生と1対1の個別療育。
年齢制限等がないとはいえ、多くが小学校卒業や中学校卒業を機に辞めることが多いのですが、うちは小4から20歳まで11年通いました。

何故か?
本人が辞める気が全くなかったこと、高等部になると個々に合わせた課題設定が無くなってくること(本人にあった課題に取り組ませたい)、本人は興味関心のあることにはまだまだ伸びしろを感じたこと…などなど。一番は、本人にとって1つの「居場所」になっていたことかもしれません。

往復付添、時間、月謝等を考えると、まあよく頑張ったな私、と思います(笑)。
当初は怪獣3号くんがまだ2歳でしたからね。

家および学校から現地まで8㎞ぐらいあり、当初は車で通っていました。
ところが高等部になったら「電車バスで通う!」という、想定外な事も起きました。
挙句には、先にホームに降りた怪獣2号くんが電車に乗り込んだ瞬間にドアが閉まり、私を置いて1人で行ってしまった…なんてことも。
途中下車することなく、きちんと目的地に辿り着いていました。
「途中トラブルがなければ」1人で行けることを証明してしまった瞬間でもあり、本人の力に驚いた瞬間でもありました。

そんな怪獣2号くんでしたが、20歳を機に、療育を修了することにしました。
そして、今まで(特に養護学校高等部を卒業してからのここ2年)の指導所見を先生に書いていただきました。
11年のまとめ…を兼ねて。

新型コロナの影響で、修了して4か月近く経った6月末になり、ようやく取りに行くことができました。

療育の内容は別室モニターで観ていますし、状況も毎回の指導後に聞いているものの、いざ文書としてまとめていただくと改めて「指導内容・本人の得手不得手・本人の特徴・先生が配慮したこと等」がわかります。

日頃は「できないこと」ばかりに目が行ってしまいますが、改めて読み直すと、「随分進化したなぁ」と思います。
そして20歳になってもまだまだ可能性∞?と親バカなことを感じます。

重度知的障害と自閉症という事実には変わりないですが、得手不得手のうち、得意なことはまだまだ伸びそうですし、苦手なことも環境次第で改善されると思われることもあります。

1つめの誕生日(実生年月日)では20歳4か月、2つめの誕生日(予定日)では20歳0か月、3つめの誕生(NICU退院日)はまだ来ない怪獣2号。チャレンジはまだまだ続きます。

怪獣2号の健康診断の巻

怪獣2号くん、都合で「健康診断書」を出さなければならなくなった。

学生だった頃は年に1度「内科・耳鼻科・歯科・眼科」などの検診はあったと思われるが、そもそも何かあれば「病院で再検査してください」と書類が来るだけ。幸い、大きなトラブルはなかったので耳鼻科に2回行った程度で済んでいた。

ところが、卒業して、生活介護施設なり、短期入所施設なり利用するようになり、初めて「健康診断書を出してください」となった。さて、このじっとしていない多動くんが健康診断なぞ絶対無理!…X線も心電図もじっとしないのにどうやってとるんだ…視力検査だって動物の絵のタイプしかできないし…聴力の「聴こえたらボタン押してください」なんてそもそも指示が入らない。

元々「X線と心電図は可能なら」と言われていたのだが、どう考えも聴力検査もできない。視力検査は本来年1で行くべきところ(大学病院から紹介状もって変えたところ)が対応できるのだが視能訓練士さんのいる曜日時間が仕事なり通所日にあたってここ数年行っていない。覗くタイプも掲示物タイプでも難しいから「スタッフが絵を持って」対応してくださるところに限られる…となるともうどこにあることやら。近隣全滅。

再度提出先に相談したところ、心電図・X線に加え、視力検査・聴力検査も「明らかに気になるなどなければ検査できる範囲でよい」という話になった。聴力検査で言えば(超高い周波数や超低い周波数はわからないが)日常生活で困るようなことはないし、視力は3~5年前までのデータはわかっていてその後特別気になることは起きていないため今回はその数値で出す予定。

とはいえ、問診・基本検査・血液検査・尿検査だけは避けられない。
予防接種すら「じっとできない」ことで対応してもらえない経験を散々してきているので、健康診断なんて論外。それでも怪獣2号を診てくれる「近所の内科」にダメ元で相談したところ、運良く一通りできることが判明。小さな個人病院なのに、X線も心電図も視力検査もできるというのだ。(聴力だけは機器がないと言われた。)こんな街中の昔からある(見た目では、胃カメラすらできるのか不明なぐらい、設備が整っている印象がなかった)クリニックで健診できることにビックリするしかなかった。

怪獣2号、1年以上ぶりに来たクリニック。予約時間から25分待ち、更に私の診察で15分待ち、その後に本人の問診・基本検査・血液検査・尿検査…全てが彼にとっては一大事。1時間以上クリニックに居たにも関わらず、「ずっとスタッフに話しかけてはいたものの」暴れることも叫ぶことも大声出すこともなく居られたことだけでも感心した。私の検査中1人ずっと付き添ってくれたスタッフにも感謝しかない。これで怪獣2号また一歩成長?

健康診断扱いなのであくまで自費診療。
X線や心電図がないにしても、血液検査項目にB型C型肝炎等あったため費用はかなり高くついてしまったが(私も血液検査をしたのだが元々の点数が私より高かったから仕方ない)、3歳の喘息入院以降記憶にない採血も「その時だけは」無事おとなしくできた。(これには先生もスタッフもビックリしていたが、予防接種ができるので採血も大丈夫だと勝手に思っていた私。)
どこで検査しても「自費」である以上お金がかかるのは仕方ないので「近所のかかりつけ医で検査できてこの金額なら良しとしよう」と思うことに。かかりつけ医なら今後血液検査が必要になっても比較もできる…というのも大きい。

おかげで、1週間待てば最低限の検査結果が揃うことになった。これで肩の荷が1つ降りた。ふぅ。
※一大イベントだったので帰宅してすぐ書いてしまったとはいえ、本気で疲れが出ている私。

成人の日を迎えて

我家の怪獣1号2号、本日、成人の日を迎えました。

横浜市の成人式は新横浜にある「横浜アリーナ」で開催されますが、新成人は約37000人もいるそうです。我家にも2人分の入場券が届いていましたが、2人とも今日の式は欠席です。

代わりに、来週19日に「横浜ラポール」で行われる、障害者向けの成人式に参加します。

しかも2人の誕生日が2月のためまだ19歳。そのため余計にイマイチ実感がありません。
来週、式に出たら、少しは実感がわくのかな?

怪獣1号2号スーツを買うの巻

新年5日め。
体調はだいぶ落ち着いてきましたが、怠さだけ残っています。
すぐ疲れてしまうといいますか、まだ率先して動くことができません。

今日が正月休み最終日という方も多いのではないでしょうか?
我家も夫・怪獣1号・怪獣2号は明日1/6からスタートです。
中学生の怪獣3号と私は1/7からスタートです。
(といっても2人とも習い事は明日からスタートです。)

さて、今日になりやっと、怪獣1号2号のスーツセットを買いました。
今年成人式を迎えるので(市開催の「成人の集い」には参加しませんが)これを機にスーツをそれぞれ1セットずつ用意することにしました。やはり制服がないので、スーツ1セットないと何かと不便ですからね。とは言え2着。普通に買っては2倍なので、スーツのお店の「福袋」で買いました。
スーツとワイシャツとネクタイがセットでもスーツ1着より安い!

既に5日めなので、残りは限られていましたが、幸か不幸か、怪獣1号2号は身体が小さく一番小さいY4サイズだからか2色1着ずつ残っていました。スーツは袖が少し長い程度なのですが、スラックスのウエストと長さだけは直さざるを得ず、明日以降直しに出します。(そうすると通常の成人式には間に合わないんですよね。はて?)うちは1週後の別の集いに出席するので間に合うので幸いです。

紺と黒、ネクタイも赤と紺。2人同じ色でいいかな?と思っていたのですが、色違いでちょうどいいかな?といざ購入してから思っています。

19歳にして日本脳炎Ⅳ期終了

我家の怪獣1号2号、現在19歳。

公的予防接種で唯一終わっていなかった「日本脳炎Ⅳ期」(旧2期)、本日接種。
これで公的予防接種がやっと終了しました。ふぅ。

この世代は、3~4歳頃にワクチン接種中止になり、そのまま放置していたところ、10歳頃になって「今から20歳までに接種してください」なる救済措置になっていました。そのため、7歳下の怪獣3号の接種に合わせて進めていたのですが、最後5年空けるところを7年弱空けてしまい、しかも20歳までに受けなければならないのもあり、今日の接種となりました。

中学生の時に麻疹風疹混合が追加されたり、まあイレギュラーはありましたが、どうにか期限内に全て終了し、ならぬ、やっと終了し、ホッとしています。

怪獣2号も、引っ越してから約6年今の内科にお世話になっていますが、先生や看護師さんや受付の方にドドドドドド…と話しかけるのは変わりませんが、待っている間は、小児用のちょっと離れたところならじっといられるようになりましたし、接種中「だけ」は静かにして全く動かなくなり、先生も(この口多動な怪獣2号とのやりとりは全くもっと困っているのはわかるものの)接種の時にじっとできるようになったことだけは評価してくださるので、どうにかなっている感じです。
やはり「接種の時じっとできない」というのは、小児科の先生ならまだしも、内科の先生には対応しきれないのは無理ないかなぁ、と。
(それでも最初の頃はちょっと無理してお願いしていたのですけどね。)

7歳下の怪獣3号ですら、予防接種の内容が少なからず変わっているので、今の赤ちゃんは一体どれだけ打つのだろう?と思ってしまいます。

怪獣3号も、13歳未満まで接種の二種混合と日本脳炎が残っていましたが、先日二種混合接種したのであとは日本脳炎を打てば終わりです。

公的接種が終わり、解放感満載です。怪獣2号の接種にスタッフ4人がかりで打っていたころが懐かしくもあり、大変でもあり、よくあの状況で接種してくれたなぁ…と、当時お世話になった小児科の先生方には感謝しかありません。

怪獣2号の第七感?

施設通所の怪獣2号(重度知的障がい)、1人通所ができないので、火曜日の朝は隔週でガイドボランティアさんと出かけて行きます。
(正確には行く・帰る「だけ」ならできるのですが、イレギュラーがあった時に1人で対応ができない…です。)

先週火曜日、事故で9時半頃東横線が一時止まりました。
私は実家行きの日だったので情報収集する間がなく、菊名~横浜間が止まっていることしか気づいていませんでした。

今朝、同行してくださるガイドボランティアさんから聞いて知ったのですが、実はちょうど2人が最寄駅に着いた時、事故直後で東横線がホームに停車して発車できずにいたそうです。それを見て、怪獣2号はパタッと動かなくなったそうです。いつもより静かに様子をうかがっている感じ。菊名止まりながら発車することになってからも暫く様子を見ていたと。そしてボランティアさんに促されて電車に乗り、施設最寄駅で降りてからはいつも通りに戻ったそうです。

そのボランティアさんとの通所時の交通エラーは初めてだったので、その方も怪獣2号のそのような様子は初めて見たと。
視覚情報は強いのですが、アナウンスを聞いて理解はしていないと思われるので、電光掲示板を見て単語を繋いで解釈したのか、周囲の様子を見て何かを察したのか、第七感が発動したのか?

予定外の事が起きると、通常は声が出たり、落ち着かなくなったりするタイプですが、今回は、真逆だったようです。
…というか、公共の場でのイレギュラーは意外と落ち着いている気がします。

第七感か視覚情報かはわかりませんが、察して動く力がついてきたのなら嬉しい限りです。

朝からふむふむ…と思ったので、備忘録的に。

13年経っても変わらない先輩方

28日火曜日ですが、怪獣2号(重度知的障害・自閉症)が養護学校小学部入学時からお世話になっている(スクールバスのバスポイントが一緒)先輩お母さんと、2年ぶりにランチしました。

うちが小1で入学した時、既に中1と中2だった先輩方。
同じバスポイントということで、自宅自体も近く、お子さん方のこだわり度なども似ており、在学時には色々話をしていました。
ただ卒業してしまうとなかなか会う機会がなく…。

2年前に怪獣3号が、その先輩方の施設に実習に行くことになったのを縁に、?年ぶりに会ったのですが、それ以来です。

初めて会ってから既に13年経過。
久々に会っても、当時と変わらず、すんなり話せることがありがたいです。

同じ養護学校に通っていた子ども達の話から、兄弟児の話(といっても我家以外は兄弟も既に社会人)、(年齢的に)親の介護の話になったり。
初めて会った小1の時に怪獣3号が生まれているので、皆には「あの赤ちゃんが中1!」と驚かれたり(笑)

養護学校卒業した本人達は、介助レベルも同じぐらいで、施設としては皆「生活介護」。
今でも送迎があったり、ショットステイやヘルパーさんの利用など、「必要なこと・ものが似ている!」からこそ、久々でも会って話をしたいと思うし、変わらず話せるのかな?と思っています。

----------

話をしていて、怪獣2号は、周囲のサポートを使っている方なのかな?結構無茶して導入したかな?と実感しました。
移動介助週1・身体介助週1(いわゆるヘルパーさん)、ガイドボランティアさんは2名。

養護学校卒業後半年以内にヘルプの手段を増やしていたこと、その早さに先輩方には驚かれました。
確かに、見切り発車も含め、この1年で色々導入していたなぁ…と。

今の自宅・実家事情ではヘルプがマストアイティムですからね。
先輩方と話せて、(先輩方の同級生などの)新しい情報や、もっと大変な情報など得て…。

さて、私も頑張らなきゃ!

と思った火曜日でした。

*自宅近所のカフェにて。

02e0daa3d5684ef38f8dc1faf53df318

より以前の記事一覧

2023年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30